京都の街を歩いていると、面白いものにぶつかることがよくある。
戦災にあっていないから、古いものが残っているのだ。
今回の成果は火の見櫓だ。
小学校の横をあるいていたら、看板があった。何か由緒を書いたような看板
だったから読んでみた。なんと、この小学校に火の見櫓があるというのだ。
ちょっと下がって見上げてみると、なるほど上の方が櫓になっている。
昔は各小学校にあって、太鼓で時間を知らせたり、火事を発見したりしたのだ
そうだ。
なるほど、よく古い小説で、「ドン」が鳴ってとかいうのは、このことなのか。
私の田舎は和歌山だが、小学校に櫓があったというのは聞いた事がなかった。
昔は、田舎だと、村の真ん中あたりに高い櫓があったような記憶が薄らとある。
火事があったり、大雨で川が決壊したりしたときに上にのぼって、半鐘を衝いた
のだそうだ。
今では川の治水工事は殆どどんなところでも万全になっているので、聞かなく
なったが、昔は台風が来て大雨が降るとかならず大きな川が決壊したのだった。
子供の頃住んでいた家には、軒下まで水の跡があった。
それで台風が来たら、洪水にそなえて、両親がいつでも避難できるよう、必要
な荷物もまとめているのを体を硬くして見ていた。
もう今ではそんな心配はなくなった。
と思っていたら、最近はゲリラ豪雨とか言って、局部集中豪雨が多発したり
するので街中でも危ない場合があるのだ。
いつまでたっても安全にならない。
この櫓をみて思ったのは、いつも何かあると我々はテレビをみて、画面の中
で見えるものでいろんな判断をしているが、時には、火の見櫓みたいな所に
登って、全体感でものを見る人も必要なのではないかと思った。
その方が今ある危機に対して直感的にどういう行動をとったらいいか分かり
やすい場合があるような気もする。
ハイテク、機械化ばかりで失っていっているものもあるのではないだろうか。
小学校に火の見櫓
- 2010年10月23日
- 日本国内
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