高野山に歩いて登る道は当たり前やけど昔からある。当たり前やけどいく通りも
あるはずだ。それを7つの代表的な登山道として整理、整備して保存しようと努力
されてる方達がいるらしい。高野七口再生保存会と言うらしい。
わしの知人の1人がそういう活動をされているというのは知ってたけど、偶々話を
する機会があったときに、その内の一つ黒河道を下るというイベントがあるって
紹介された。
ちょうど、この夏に友人と高野山から小辺路に向かう熊野街道のきついルートに
挑戦してみようと企んでるんで、方角はちゃうけどおんなじ山中やから様子見がてら
ちょうどええかなって思う。しかも下りルートやから楽々やんかと安心しながら
参加させてもらうことにした。これがえらい間違いなんよね。
集合は高野山大学の入り口のとこらしい。
電車とケーブルカーとバスを乗り継いでそちらに向かう。
服装や会話のはしばしでほとんどの人は同じとこへ向かうらしいとわかるけど、
カレーやラーメンの行列の先陣争いやないんであせる必要はないとばかりゆったりと
高野山大学へ到着。予想をはるかに超えた人が集まってるではないか。聞いてみたら
80人強の人が参加するらしい。もうてんやわんやの受付が始まってる。
主催者側(役所の人たちかな?)も並ぶ人たちも慣れないもんで右往左往しかねへん。
やっと20人ずつくらいの組になってガイドさんに前後を挟まれ順番に出発だ。
みなさん山登りイベントにかけては常連さんというような人たちがそれぞれ
仲間をくんで来られてるようで、えいえいおうと賑やかだ。
人数が多いのはええけど仲間内に我が物顔されたらいややなあ。
ガイドさんは保存会の方達なのかボランティアらしい。歩き慣れた足取りは軽くて
早い。ついて歩くには結構がんばらんとあかん。後続グループからはスピード
違反やでという声もあがるけど、前の方では歩き慣れた方達はぐいぐい体を入れて
前へと入ってきはるのがおかしい。
この黒河道というのは、昔からある道やけど、近年、太閤秀吉が高野詣でをしたときに
山上でどんちゃん騒ぎをしたらしい。すると忽ち嵐となって雷が鳴り始めたらしい。
これは神様がお怒りじゃと言う人がいて秀吉はあわてて山を逃げ降りたのがこの道
なのだそうだ。地図的にはほぼ一直線に山を下りれるけど道は険しい。
降りたけど天罰は受けたとは聞かんから無事やったんやろね。
今日の行程は19kmらしい。何時間歩くことやら。
最初の目印は黒河道女人堂跡。
高野山は女人禁制なんで、色んな道の最後の門の手前に女人堂があって女性が
そこでストップさせられたのだそうだ。今は女性陣がどんどん先頭を歩いてはる。
時代は確実に変わっていってるんやね。
そこから広い道をタラタラ歩いて降りると、
じきに広場に出てトイレ休憩だ。
こんなんやったら、出発前にトイレでバタバタせんかったらよかった。年寄りは
トイレのチャンスがとても重要なのだ。
おお、これが一本杉か。
樹齢400年以上、周囲7.5m。魁偉な姿がええですなあ。
ここからずんずん下って。更に下ったら、上りに入る。峠越えだ。グループ内
でも先頭と後方の2つに分かれてしまったようだ。この上りで足がつったとか
思わぬ故障も出始めてる。
峠の上はもう登りがないんでありがたい。涼しい風で一息つく。
ここが粉撞(子継)峠というところらしい。
お地蔵さんがある。
子継というだけに子授けの霊験があるらしい。ここにいるメンバーにはもう必要ない
けどね。
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ありがとうございました。