とても良い映画だ。
カンボジアはとても美しい国だ。特に廃墟が美しい。
これはアンコールワットからかなり離れたところにあるベンメリア遺跡という
ところだ。
深い緑の森の中で少しずつ崩れていってすこしずつ自然に還るのを待っている。
まるで元々から廃墟であったかのようにガジュマルの木が主やら壊れた石組が
主やらわからへんほどからまって不思議な存在感を創っている。
こんな廃墟が映画の中にも現れる。
東洋のモナリザがあるバンテアンスレイはかなり修復されてはいるが、そのまま
堀の中に融けていきそうな繊細さがとても美しい。
その近くの田圃の風景。
牛が耕して、こどもが遊んでる、わすれがたい景色に出会った。
こんな長閑で平和で穏やかそうな緑の国がかっては凄まじい虐殺が全土で行われて
いた時代があったのだ。その残虐の跡も又残されている。
今は首都プノンペンも近代的な大都会だ。中国、日本、アメリカ、その他
いろんな国が投資を続け、急速に発展しつつある。普通のアジアの街だ。
わしが韓国系の近代的なホテルに泊まった時は、日系ビジネスのキャンペーンだったようで、
ホテルのレストランで深夜まで若者たちのポップなパーティが賑やかだった。
ソボンは女子大生。父親は軍の偉いさん。
娘は父親に結婚を強制されるのをいやがって夜な夜なボーイフレンドと遊び歩いてる。
そんなある日、娘は壊れたままの映画館の中に彷徨いこんだ。
何故か映画が映った。カンボジアの昔の王朝時代の話を映画にした、クメール・ルージュの
虐殺時代の前に造られた映画だ。
娘は何故か心打たれる。あのヒロインは母ではないのか?
フィルムは途中で終わった。
映していたのは元監督か?
この続はどうなるの? 何故フィルムの残りが失われたの? 母は女優だったの?
そしてあの悲惨な内戦の時代に何があったの?
娘はその続きを造って映画を完成させたいと思う。
しかし、母は? 父は? 監督は? 誰もがあの時代に心に深い傷を負っていた。
それぞれの闇を抱えている。
まさか父は?
監督は誰?
誰もがあのむごたらしい残虐の遺産になんらかの負い目がある。
私のせいで死んだ人がいる。私が殺した人がいる。私の前でなすすべも無く死んで
行った人がいる。被害者と加害者、ええもんと悪もん、簡単にわけることなど
できるわけがない。
果たして映画は完成させる事ができるのか?
そして上映することができるのか?
その意味は何なのか?
悲劇の時代をどう乗り越えるか、どこの国の人でも問われる大きな問題だ。
カンボジアの次世代を担う若者達にも希望に満ちた未来があるよう祈りたい。
カンボジアではあの時代に知識人達が大量に虐殺されたので若者を導く大人
の世代の人口が決定的に不足してると聞いたことがある。
遺跡の街では、ちかくのどっかの国の拝金主義に毒され、あやつられ、踊らされているよう
な子ども達、若者たち、もちろん大人たちもたくさんいたような気がする。
あの優雅な遺跡の石壁に刻み込まれた男達、女達とうりふたつの顔や姿をもった人達
が今溢れるように流れ込む即物的な拝金主義的な目先の誘惑に惑わされないで昔にまけない
優美でしなやかな文化を育む国になってほしいと切に願う。
是非、劇場でご覧あれ。
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ありがとうございました。