そろそろと電動モーターをふかしながら走ってると、牛車を追い越した。
こんどは観光牛車ではなくて、地元の人の乗り物だった。若い女性が2人乗って
道路の端の地道のところを時々砂埃をあげながらトコトコ走ってはる。天気が
いいんで見てるだけで心が和む。勝手に和まれても向こうは困るやろけど、今時
の若い人はこんなとこでもスマホに夢中やから気がつかない。牛は真っ白で背中
に1つ大きなこぶがある。今日も良い一日になりそうだ。
ゆっくりゆっくり走ってるうちに村の入り口らしきところについた。
交差点が広場になっていて牛がいてる。境界は定かでは無い。
その前に垣根があってその奥に集落が見える。
垣根も家の屋根も壁も殆どが木の皮を編んで作っているようだ。砂漠のように
なったバゴダの廃墟の周りには雑木が一杯生えているけど、一見不毛の地の様
で森の幸はふんだんにあるのかもしれん。木が多いところは文明が栄えると聞
いた事がある。鉄は木が無いと作れない。木が多いと鉄が作れて武器が作れて
戦争に勝つという理屈かもしれん。
それでこの辺りは一時期栄えに栄えたのか。
集落の中に入って見てもええみたいなんで行ってみようと思うけど、自転車を
どこに置こう? まさかそのままほったらかしとくわけにも行かんやろう。
幸い、入り口の処が喫茶店兼お土産屋さんのように思える。
「帰りにここでジュースかなんか必ず飲むんでこれ預かってんか?」と頼んで
中に入っていった。
あんまり人影を見いへんけど、気配は確かにある。
隠れてはるようでもないんで、わしらと違って忙しいんやろう。
特に観光目的で何かを見せるというよりは入って見てもええよっていう姿勢の
ように思える。但し、路地と塀と家の庭の境界がようわからへん。
路地を歩いているつもりでいつの間にかどこかの家の庭に入り込んでしまって
る場合が多い。咎めだてるわけではないけど、「何か用?」という視線にかえって
おどろいてあたふたと路地に戻る。
木の皮葺きの家ばっかりで高床式になっていて、勿論エアコンなんかはなくて
涼しい風が通り抜ける工夫がさまざまにされた住居になっている。こういう自然
の暮らしがええなあと思う。
どの家にも牛がいて、してみると村の外に田圃を持ってはるんやろか、あっち
にもこっちにも一杯やけど清潔に手入れされていて匂いは殆どしない。
やっと観光用に布を織って売っている家を見つけた。ここは堂々と入っても心配
ない。良いのがあったら買おうと楽しみにして探したけど見あたらへん。
何がええかは見解の相違ということなのだ。
さて、村の散歩を続けようと歩いていると、可愛い赤ちゃんを抱いた女性と出会った。
あんまり可愛いんで写真をとらせていただく。
にっこりわらって映ってくれたけど、1ドル要求された。
1ドルは惜しくないし、あげることに何の問題もないけど、ちょっと気持ちが苦い。
その先の家の軒下では、可愛い赤ちゃんが揺りかごの中でねんねしてた。
心の中で一生懸命スケッチした。
これも親がいたらお金を要求されたんやろか?
背後で、牛がモーって鳴いた。
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ありがとうございました。