プノンペンの朝が来て、昼頃にはシンガポールに向かわないと行けない。今回
はダーウィンの旅の帰りにちょっと付け足しただけやからあんまりゆっくりの
旅程を考えてなかった。プノンペンに来た一番の目的も、ホーチミンからの国
際路線バスに乗る事にあった。そやからプノンペンで限られた時間に何処へ行
くか深くは考えてなかったけど、選択肢は限られてる。
しかもとても暗い気分になりそうだ。トゥール・スレン虐殺博物館とか、キリ
ング・フィールドとかのポルポト時代が残した負の遺産か王宮か街歩き。
街歩きはとても暑そうやし、王宮もあんまり興味がない。ポルポトが残した残
虐な様々をなかったことにしてはいかんし、きちんと知っておかんとあかんと
は思うけど、とりあえずは別の機会にしたい。特にキリングフィールドに行く
のは気がすすまん。近くにあるトゥール・スレン虐殺博物館に行くだけにしよう。
で、ホテルのエレベータを降りて表に出る。
玄関横の路地でトゥクトゥクのおやじが待っている。
向こうが手を挙げて挨拶するのに答えてこっちも手を挙げると乗る意思ありと
の合図になるようだ。この呼吸はベトナムでもマレーシアやインドネシアでも
同じやと思う。
それで値段交渉を始める。
「いくら?」、「4ドル」、「1ドル」、「3ドル」、「2ドル」、「何そんなア
ホな。そんなんで行くやつおらへんで」と半分怒り出す。でも、「2ドルやで」
と頑張る。何と言われてもがんばる。それで、まあええわとなる。
多分それでもしてやったりの値段なんやろと思う。
もっときつい交渉は言葉ができるようにならんとあかんのだ。
で、「トゥール・スレン虐殺博物館へ」というとうなずいて出発した。
誰でも知ってる有名なとこだ。
トゥクトゥクは街中を軽快に走っていく。
この街もゆっくり探訪したら面白いかもしれん。
で、トゥール・スレン虐殺博物館へ着いた。
要するに刑務所跡だ。
ここで罪無き人達が拷問されて虐殺された。
これも悪者たい無辜の民という構図だけではなくて、共産主義対反共産主義と
いう構図の中で政治的な力がさらなる悲劇を産みだしていったという面もある
のだと思う。そういう構図は今も変わらない。
よく目を見開いていなければ、何もしないことがもしかしてらこういう悲劇が
おこる事を許容する結果を産んでいるかもしれないということだったあるのだ
と思う。
見ているとだんだん気が滅入ってきた。
それに時間も大分過ぎてきた。
そろそろホテルに帰ろう。
又、トゥクトゥクのおやじと交渉するところから始めよう。
これはこれで決まり事やから楽しくもある。
道すがらの風景はアジアどこも同じだ。
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ありがとうございました。