東寺の弘法市に行った

自由な身になったので、楽しみにしていた東寺の弘法市に行くことにした。

しかし、まが悪いことにシルバーウィークの真っただ中だ。

「こんでるやろなあ」と心配していたら、いきなり、行きの電車が遅れている。
そのせいもあってか超満員だ。

しかし、お彼岸なのでメインは墓参りか、やっぱり遠出の行楽かなのか、
骨董市は人は多いものの、それほどごったがえしているわけではない。

実際、骨董市などというものは人が多いほど楽しいので、少しだけ残念だ。
始めてなのでわくわくしながら彷徨った。

気が付いたら殆ど全部まわっていた。

それでも何も買っていない。
何を買おうと思って来たわけではないので、それはそれでいいのだ。
だがちょっと寂しい。
考えてみた。
「何かいいものに出くわすかもしれない」
「たまたまいいのに出会って、買えるものだったら幸運だ」
なんて考えていても、きっと何も出会わないだろうと思った。
モノって、ただまんぜんと見ているだけでは、きっといいところを見つけられ
ないだろう。
「こんなモノがほしいなあ」とか、「これを是非探し出したい」とかいう
気持ちがなければ、こんだけ雑多でごちゃごちゃの中からは見つけられないし
楽しみも得られないんだろうなあということだ。
骨董探しにも目標がいるという事だ。
それも、誰もが知っている骨董品だったら、値付けも確定してしまっていて
驚きも何もないだろう。
自分だけも思い入れが必要だなあと思った次第だ。
それで、とりあえず藍染の布地を見て回ったが、どれも、高い値段がついている。
これも値が決まってしまった世界なんかなあ?
中国モノだったらどうだろう。