「もうやめて、気が狂いそうや」と普通のジャズを聴いても我慢できない
友人もいた。
そのうち、「慣れたら、ええように聞こえる時もあるなあ」
「とりあえず、我慢できへんことはないで」
「モダンジャズはわからへん」とか「やかましいだけや」、
「聞いてていらいらする」とか言っていても、実は要するに慣れの問題だけだったり
する。慣れてくるとその良さも解るし、「心地よい」思うようにすらなる。
友達がいいと言ってたら、何となく自分もいいと思うようになる。
若い頃はそういう事だった。
それでも、その頃、前衛と言われていたり、フリージャズと言われたいたりする
ミュージシャンの中には、既成概念を打ち破るとか、枠組みにとらわれないとか、
そういう姿勢や意気込みだけが先行して、やたら、不協和音が不快なだけだったり
それこそやかましいだけだったりするような人達も多かった。
そんな中で、どこか心惹かれるところがあるのが、アルバート・テイラーだった。
「MY NAME IS ALBERT AYLER」を聞いた時は、すばらしい人が現れたと思った。
フリーというスタイルにとまどいながらも、心の内面を嫋々と歌い上げるような、
それでいて形にはまらず、どこまでも飛翔していくような可能性を思わせた。
しかし、
1970年11月25日、ニューヨークのイーストリバーに死体となって浮いていたそうだ。
他殺か自殺かもわからない。34歳の死だ。
「アルバート・アイラー、ラストレコーディング」は、まさに最後のアルバムだ。
実に繊細。実に抒情的だ。
人間の内面深くにある、「Heart」とか「 Spirts」とかが全体を流れるテーマのようだ。
最後の「 Music is the Healing Force of Universe」
将に今の時代にふさわしいメッセージのように思える。
生まれてくるのが早すぎたんだなあ。
毎週木曜は、映画、音楽、書画に関する話です。