9年前に書いた旅のブログをリニューアルします。文や写真、その後の気持ちや情報なども追加、リニューアルしてみたいと思ってます。
「西ひがし」、金子光春より。
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バトパハは、センブロン河がマラッカ海峡の塩水とまじわるところで、朝夕の霧がふかく、そこらいちめん、岸近いところはニッパ椰子に蔽われ、ジャングルの猿の群が、町はずれの家ちかくまで、食物をさがしにやってくるところである。もの哀しい抒情の味いのふかいところだが、訪れるものも住んでいるものも、あまりそんなことは考えないらしい。ちょっとした塩と真水のまじわる物侘しい船つき場にすぎないが、例によってここにも、いろいろな土地の人間が住みついている。・・・・
:::ー本文より抜粋。
バトゥ・パハ川の岸辺に行ってみる。
向こう岸にずらりと並んで生えている木の群れがニッパヤシなんやろか、それともカユ・アピアピ(火焔樹)なんやろかとあくまでも金子光晴に結び付けてみるけどようわからん。
友達と三人、何もすることなく佇んでいたらいつのまにか横に小さな子を連れた若い男が立っていてわしらに話しかけてきた。
彼が言うには昔はこの街に日本人が沢山いたらしい。
その昔って何時頃迄なんやろ。今はもう日本人は住んでないけど観光に来る人は多いらしい。
インドネシアから船で渡って来る人は多いんかって聞いたら、その通り、あそこにある船もみんなインドネシアから来た船やでって言う。
するとさっき見た船はインドネシアの船やったんや。
あの建物は機能してるんやなあと驚いた。
成る程、荷役用?のクレーンもあるやんか。
インドネシアからここまで来るのに一ヶ月ほどもかかるんやろかと聞いて見たら二日程で来るんやそうや。
確かにガイドブックの地図はそのあたりを拡大して関係ないとこは載せてへんけど大きい地図で見てみたらインドネシアはすぐ近くにある。
こんなに近いさかいに言葉も同じになるんかなって考えた。
マレー語とインドネシア語は同じらしい。
インドネシアからは木材を運んで来るらしい。
そういう目で見るとここに居る船たちが何かしら生々しい様子に見えてきた。
親が喋ってるだけなんで子供が退屈そうにし始めた。
ではと分かれて又旧日本人倶楽部の周辺をぶらぶらしてみる。
市場を見つけた。
さっきの人が言うには、この地には時々日本人が来る以外に観光に来るような人は居いへんのやそうや。金子光晴に浸ってみるだけの観光ってすごいなあ。
まあ、わしらもそやけど。もう少し行くと市場があった。
何の変哲もない市場だ。どこでも同じ風景。野菜や果物なんかを売ってる。
でもここの市場は何か愉しそうだ。
店も少ないし、人も少ないけど、どこかあったかい。
日用品も売っている。
ここで全部用が済むということやね。
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うろうろしたあたりの地図。
- より大きな地図で バトゥ・パハ遊 を表示
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