9年前に書いた旅のブログをリニューアルします。文や写真、その後の気持ちや情報なども追加、リニューアルしてみたいと思ってます。
「マレー蘭印紀行」、金子光晴より。
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街のつきあたりに、満水のバトパハ河のうちひらけるのをながめたとき、私は、しおやまみずのいりまじった水の中に、頭からずんぶりとつけられたように気がした。そのバトパハ河にそい、ムアにわたる渡船場のまえの日本人クラブの三階に私は、旅装をとき、しばらく逗留することになった。ゴム園にゆくにも、鉄山を訪ねるにも、ここは重要な足がかりである。山から出てきた人達はここに宿泊し、相談ごとに寄合ったり、撞球をしたりする。・・・・・・三階のすみには、古ぼけた支那寝台がいくつも用意してあって、勝手にどこにころがってねてもよかった。・・・・・・バトパハは日本人の勢力下に発展したのである。現在、人口四万、八十パーセントは華僑、日本人の数は約四五十人である。・・・・・・・
:::ー本文より抜粋。
日本人倶楽部。
多分、この建物が日本人倶楽部だったとこらしい。
「あそこの三階に住んではったんか。」と思いながら見ると確かに三階建てである。
二つの通りに張り出した三階建てのかなり大きな漆喰塗りの洋館で丁度の部分にエントランスがあったようだ。
今は貿易会社の看板だけが残って、がらんとした床にプラスチックの椅子が散らばっているだけだ。
こんなとこで時間を忘れてぼーっと昼寝をしてたら気持ちがええやろなあと思う。
このエントランスの真上、建物の屋上にとってつけたような不思議な塔がある。
イスラムのコーランを唱えるとこなんやろか。昔からあるんやろか。
あたりを歩く。
両側の道路に沿って延びる軒廊(カキ・ルマ)は日陰になっていていささか涼しげではあるけど、
柱の間、一間毎に区切られた雑貨屋や乾物屋、
何かわからん金属加工屋、唯の倉庫などなどやっているのか潰れてるのかようわからん雑多な店が通路まではみ出していてろくろく歩けへん。
日本人が居たころの面影はもうすり切れて無うなってしもうたようだ。
旧日本人倶楽部跡の向かいが税関らしいけど、ガイドブックには跡って書いてないから現役なんかもしれん。
けどそれらしき建物がない。
しかしたらと思わせるような掘っ立て小屋だけがある。
しかし河の流れがその前にあって船着場のようでもあるさかいやっぱりこれが税関なんかもしれん。
みるからに貧相な船が何艘も岸辺に並べられていて、時には船から這い出してきた上半身裸で真っ黒に日焼けしておっちゃんがあくびをしながら背伸びしたりしてはる。
てなことで。
昔読んだ本を思い出して興趣に浸るのは勝手やけど、要するに簡単に言えばただの田舎町だ。
それがまたとても面白い。
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うろうろした辺りの地図。
- より大きな地図で バトゥ・パハ遊 を表示
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