今年も燕がやってきた

先日、夕方ウォーキングをしていたら、燕がヒュっと飛んだ。
今年になって初めてだ。毎年この季節になると、必ず燕がやってきて、去年の
巣にやっぱり住み着いて、子を産んで育てて、初夏になったら何処かへ飛んで行く。
営々とした自然の営みが感じられて心楽しくなる一時だ。
昨年は、白居易の詩の話をしたと思う。
2羽の燕の話だ。「一組の夫婦の燕がやってきて、巣を造り、子を育てる。
ピヨピヨと鳴く口に、一生懸命餌を運んで、苦労して、子を育て、大きくしても
子はそんな事は知らないで、あっと言う間に巣立っていく。
でも、そんな事を嘆くではない。これこそが自然の営みなのだから」
と言ったような意味だったと思う。
燕を謳った詩は少ないが、こんなのがあった。
劉兎錫と言う人の烏衣巷というものだ。
朱雀橋邊野草花 烏衣巷口夕陽斜
旧時王謝堂前燕 飛入尋常百姓家
「昔栄えた南京の街も今は廃墟になってしまった。夕暮れ、今はもう唯の百姓家に
なってしまった、あの王謝堂の前を燕が飛んだ」
と言う程の意味だろうか。
これを画に描いてみよう。
石濤の画をちょっと頂いて、田舎家に燕を飛ばせてみよう。

tubame090418