東北、奥の細道の旅-08 仙台城へ

食べ過ぎた。お腹が一杯や。ちょっと腹ごなしに運動しないといけない。
とは思うがそれは当初の予定とは関係ない。当初の予定は仙台城に行くことだ。
それが運動になるから都合がいい。
よくテレビドラマなんかで仙台が舞台になったりする。その時に必ずさりげな
くあの伊達政宗の騎馬像が出てきて、それで仙台にいるということの証明にま
にあわせたりしてるんできっと仙台駅前あたりの公園にあるんやろと思ってい
たら、お城の上にあるらしい。

こうしてみるとやっぱりかっこいい。
戦国武者のロマンを背中にしょっているようだ。
城跡広場の眺めも良い。

市街地を一望したその向こうには遠く雪をかぶった山々から遥か海岸線まで見
渡せそうだ。
眺めがええ分風が吹き通って、しかも雪があるから結構寒い。

ここに上ってくる前にこの下にある博物館を見に行った。
その横に、魯迅の像がある。

それと魯迅を記念した日中友好記念の公園みたいなのも。

日中不再戦の植樹とある。こんなことが大事なのだ。

そうなのだ魯迅は仙台に住んでいたのだ。仙台医学専門学校、今の東北大学医学
部で学んでいたのだ。その時に藤野先生とも知り合って、「藤野先生」と言う有
名な文を書いた。
大分前に中国雲南省に旅したことがある。元陽と言う巨大な棚田の村を見に行っ
たのだ。其の帰り建水と言う街に寄ったとき偶々運転手とその友人の建水中学の
先生方と宴会になった(ブログに書いてます)時、漢詩をいくつか覚えてたんで
「どや顔」で披露したら、よろこんで日中の話になり、「私は藤野先生が日本
人で一番好きや」と言う話をし出した。その時は、魯迅と藤野先生の話を全く知
らなくて適当に話をあわせたんやけどはずかしくて帰ってから調べたのだ。
その時同時に、徐志摩と言う人の「再別康橋」と言う現代詩も教えてもらった。
これも後で調べたら夭折した徐志摩のロンドン留学時代を想った詩なんだそうだ。
ああしたらこうしたでいろいろ繋がっていくのが面白い。
そういえば魯迅には松島に行って西行戻しの松も見たと言うようなことを書いた
エッセイも確かあったはずだ。

ところでこのお方は誰やったんやろ? えらそうやなあ。


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ありがとうございました。