図書館で大阪名所獨案内目録というのを借りた。希少本扱いになっている。
明治28年発行の文庫本のような小冊子で、大型の方は貸出禁止だという。
巻末にえんぴつで誰かが20000円と書いているから値うちのあるものだと思う。
こういうものを見ていると大阪の昔の名所がどんなだったかわかって中々
興味深い。
一番最初は梅田停車場(うめだすていしょん)とある。
当時引かれた鉄道の駅がはいからで珍しかったのだろう。
二番は九階凌雲閣(くかいりょううんかく)、五角形の2層の上に八角形の6層
が積まれた塔だったようで、その高さと特別な存在感で当時の話題を集めていたようだ。
こんな建物是非見てみたいものだ。鬼子母神堂、綱敷天満宮と続くが
鬼子母神堂はよくわからない。
11番目に露天神(つゆのてんじん)というのがあった。
どっかで聞いたことがあるなあと思っていたら、お初天神の事だった。
かの有名な、「曽根崎心中」のお初、清兵衛を祭った神社だから昔は
大変な人気だったのかもしれない。
そんな事もあって、先日近くまでいったのでちょっと寄ってみた。
このあたり、どんどん様変わりしていっている。
何もかもが改装されて新しい。
それに、昔懐かしい食べ物界隈も風前の灯だ。
曽根崎心中、何遍読んでも名文だ。
「此の世の名残。夜も名残り。死にに行く身を譬ふれば、。あだしが原の
道の霜。一足づつに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。
あれ数ふれば暁の。七つの時が六つなりて、残る一つが今生の。
鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽と響くなり。鐘斗かは。草も木も。空も
名残と見上ぐれば。雲心なき水の音。北斗は冴えて影映る。星の妹背の
天の川。梅田の橋を鵲の橋と契りていつまでも。われとそなたは女夫星。
必ず添う縋り寄り。二人が中に降る涙川の水嵩も増さるべし」
鐘はどこの寺でしょう。梅田の橋も今はあるわけないし。
昔を忍ぶよすがもなくなってしまってるね。
空堀通りの近くまでいけば近松の墓もあるという。
一度訪ねてみよう。
空堀通りの近くまでいけば近松の墓もあるという。
一度訪ねてみよう。