時々京都遊、哲学の道を歩く

さて、「なんば歩き」だ。見た眼で簡単に言ってしまえば、右手と右足、左手と左足を同時に前に
出して歩くのだ。○○宅配便のロゴマークで飛脚が走っているのがそうだという。
「なるほど」
これが何でいいのかというと、足で蹴ってあるくのではなくて腰の動きで歩くのだそうだ。
MIZUNOの上野敏文氏のホームページなどでこのへんの理屈と歩き方が詳しく解説されている。
理論的な事はよくわからないが、「なるほど」と思った。足跡の写真があった。砂地を歩くと
普通の歩きは足跡がくっきりと残るが、「なんば歩き」殆ど足跡が残っていない。
「これや」と思った。地面を滑るようにあるいているのではないか。これが極まると空中を走って
いるかのように歩けるのかもしれない。
早速やってみた。ぐいぐい歩くというよりは、ぺたぺた歩くと言う感じだ。足の裏やふくらはぎに
殆ど負荷がかからない気がする。それでいて腰の移動を早くすれば早くあるける。
簡単に言うと疲れないのだ。しかも、足の裏の痛み方が全然違う。毎日ウォーキングをしていて
下手な歩き方のせいもあるがマメができたりタコができたり痛みかたがひどのが直っていくかのようだ。
「登りが楽しくなる」とも書いてある。
確かに街歩きや階段のぼりくだりは楽になった。
「もうちょいちゃんと歩きたいなあ」、「砂利道は音をさせんと歩けんやろか?」いろいろ楽しみが
出てきた。
「そや、次に京都に行く時、画の練習終わったら、哲学の道でも歩いてみるか?」と考えたのだ。
「中華そば」を食べた後、画の練習やら何やらでちょっと時間を食ってしまったが、歩くだけの時間は
ありそうだと哲学の道に向かった。
三条から歩いて南禅寺の山門まで来ると、平日ではあるが観光客が沢山集まっている。
地図を確認して「さて出発だ」おっと、哲学の道のスタート点はもうちょっと先だ。

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ややゆるい上りだが歩くのは快調、実に楽しい。其の気になったら恐ろしいものだ。豚もおだてれば
木に登る。
すいすい歩いているつもりだ。
しかし、本人がおもっているほどはすいすいではなさそうだ。
砂利道に来た。「音を立てずに」歩くのは無理だった。「ざくっ、ざくっ」ちゃんと音がする。
まだまだ修行がたりないのか根本的に間違っているのか。
右手に疏水をみながら桜並木が続く。
まだ桜はほころび始めてたばかりだ。少し咲きかけているのもある。
お寺さんだけやなくて、普通の家もこのあたりは風情があって桜はあってもいいしなくてもいい。
そういう空気を見ながら味わいながらゆっくり散歩している人達をかきわけかきわけして、ひたすら
歩くことだけに集中して、右手と右足、左手と左足、前に後ろに、呼吸正しく・・・
こんな気味悪い歩き方をしてるじいさんを見かけたらそれは私です。

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それでも歩きながら「満開になったらきれいやろなあ」と思う。
それなら、いっそ画の中で満開にしてしまえ。
もう今なら本当の満開になってしまっているだろう。

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法然院の前まで来た。あと少しだ。
法然院には谷崎潤一郎の御墓があるとさっきの看板に書いてあった。
「見たいな」と思ったが、今日は先を急ぐ、次にしよう。「
「鍵」にでてきたような足の型が墓石に彫ってあるんやろか?」それだったら面白いがそうではないだろう。
銀閣寺まで着いた。
与謝蕪村の襖絵を見て行きたいが又にしよう。
大体20分で歩いた事になる。まあ、普通やね。

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