時々、京都遊、嵐山、法輪寺

さて今回の京都遊は、いつもの画の練習とは違って、久しぶりに昔の仲間と嵐山に湯豆腐を食いに
行くのだった。元々は同じ職種の人達のある会合から始まったつきあいで、仕事抜きになってからも
もう何年も細々ではあるが切れずに続いている不思議な集まりだ。最近は、年に1回、2月か3月頃に
嵐山で湯豆腐を食うと言うのが恒例になってしまった。
それで電車に乗っている。眼の前で特急が出て行ったので楽に座れた。土曜日だから割と混んでいたが
桂の駅で乗り換える人は少ない。梅の季節も終わってしまって、嵐山の桜はまだまだという時期だから
わざわざ行く人はすくないのだろう。人が少ないから早く着いたのではなくて、私が余裕を見過ぎた
からえらい早く阪急嵐山に着いてしまった。
「さて何処へ行こう」どこかへ寄って行く時間は十分ある。
たしかこの近くに、「法輪寺」があるはずや。前に一度私のブログでもふれたことがあるはずだ。
梅で有名な寺のはずだがさすがにもう終わっているだろう。それに寺の中に何故か電気の神様、
電電宮があるのだ。電気の仕事をしてきた人間としては参っておかないといけないだろう。
あともう一つ目論見がある。
嵐山駅をでると左手の丘の上に法輪寺が見える。ということは左手の道にでて道なりに右手に登って
行くと入り口に着くだろう。大きな門をくぐると眼の前に急な石段がある。
これを一気にのぼりきってしまうと境内にでるのだ。
別に一気にのぼらずにゆっくりのぼってもいいが、境内にはあやしい、牛や虎の石像がある。
それは見ないで、本堂も塔も見ないで、拝まないで、失礼ながらすぐに右手を見る。
やっぱり梅はもう咲いてない。しかし、古木の枝ぶりがなかなか味がある。
その古木を通して眼の前が舞台になっていて京の街が見えるのだ。
更にその奥、遠くに霞む山並みが東山三十六峰なのだ。のはずだ。
実は今日はこれが見たかった。
前に、与謝蕪村の夜色楼台図の話をしたことがある。雪の深々と積もった、今日の街の全景を
俯瞰したかのような画だ。街の奥には東山の峰々が描いてある。
「どこから描いたんやろ」と不思議だったのだ。街の中ではこの景色は見えない。
街を見ながら心は空を飛んで、心の眼で見て描いたんだろうと思っていた。
それで、「もしかしたら法輪寺のテラスから見たら同じような景色かも知れん」と思って
今日は勇んで参った次第なのだ。
結果は、そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。
やっぱり心の眼がなければ画は描けないのだ。好い景色があれば好い画が描けるわけではない。
勉強、勉強。精進、精進なのだ。

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ちょっと段を下りると秘密の抜け道がある。
本当は秘密でもなんでもなくて、前に来たから知っているだけなのだ。嵐山の渡月橋の方に直接
行ける裏道があるだけだ。
表参道よりはずっと風情があって面白い。

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