映画、「長江哀歌」

映画、「長江哀歌」を見ました。
私のとっては、いい映画でした。
三峡に行ったのは1999年だと思います。もう8年たちますね。
それからも随分水位があがったようです。
それで、人の住む場所も減って、騒がしくなってしまったようですね。
あの頃は、長閑な旅でした。
ゆったりと流れる長江の流れの中で、巨大な船に、客は、私と友人とガイドのお姉さんだけ。
周りは、河と山ばかり。
「河の辺の山に住む人は、一生、外に出ることなく、ここで過ごす人もいるんですよ」
という説明も聞きながら、時間の流れの違いを実感していました。
その時は、町があるといっても、映画のような町があるわけでもありませんでした。
もっともっとひっそりとしていました。
音の無い風景を見ているようでした。
時々、「ボー」って汽笛がなるだけです。

それから8年、水位があがって人が移動し始めて、町ができて、大きくなって
という営みがあったのでしょうか。
この映画で感じたのは、「壊れていくモノ、消えていくモノ、消していくモノ」です。
自らダムを作って、その工事と、退去の移動の為に賑わいができ、町ができて、
そして、そのダムの水に追われて、町を消していく。
人の営みの中でも、男と女、関係を作って、消していく。
そんな事を見ているカメラがある。
ドラマや、悲哀や興奮もなく、見ている。
そういう見方もいいのではないか。
そう思った映画でした。

どこまでも美しい長江の眺めでした。
因みに子供が歌っていた歌、「老鼠愛大米」、「両只胡蝶」は私のカラオケの持ち歌であります。

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三国号、こんな大きな船に、客が3人。

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宜昌につく手前の町ですから、巫山でしょうか。
多分映画の舞台のあたりだと思うのですが。

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毎週木曜は映画、音楽、書画に関する話です。