画を描いていると、画題や賛を書きたくなる。又、書かねばならない。
ところが私は自慢じゃないが字が下手だ。折角画ができても、それがたまたま、なかなか
良い出来であって、題字や賛が下手であったらその瞬間に全てがぶち壊しになってしまう。
だから余計字がうまくなりたいのだ。
しかし、そう願っているだけではいつまでたってもうまくならない。
練習しないといけない。
それで、日本の書店で買う場合もあるし、中国旅行に行った時に書店や碑林で書のお手本の
印刷本を買って帰って日本で練習するのだ。
今は3種類、篆書は呉昌碩の「臨石鼓文」というやつだ。
杭州の西湖、西冷印社に行った時に買った。
隷書は張遷碑という後漢時代の碑文の拓本で何ともいえない味がある。
この字は大好きだ。こんな字が自然に書けたらいいなと思う。
楷書は西安の碑林に行った時に、顔真卿の多宝塔という碑文の拓本を買った。
印刷用の碑を別途造って刷っているのだろうが、墨の匂いのするりっぱな拓本だ。
毎日ではないが、週のうちかなりの日に少しずつではあるが練習している。
しかし、うまくならない。
草書もせんならんし、ひらがなもあるし、えらいこっちゃ。
中国を旅していたら、夕暮れの街かどで時々人だかりがしている。
人と人の間に顔をつっこむと、書を書いているのだ。
大きな筆に用意したバケツの水をたっぷりつけて、石畳の道路を紙代わりにして、ぐいっ、
すー、えいっ、と声をあげているわけではない、見ている方は力が入るが、書いている人は
自然体ですーすいっと体を動かしている。
「どうしたらあんなに上手に字を書くことができるようになるんやろ?」といつも思う。
「さすが漢字の国、書の国」だ。市井にいくらでも名人上手がいるようなのだ。
それを見ている人も、「書が好きだ」という顔をしている。
前に書家の金澤翔子という人の特集をテレビで見たことがある。
すさまじくスピリチュアルな書を書く人だと思う。その人が、少年に書き方を教えていた。
右手に右手をそえて一緒に書くと言うのはよくわかるが、その一連の動作の中で、後ろから
左手で左肩を押しているのだ。
「左肩を動かすタイミングがあるのか?」
小さな紙でも全身で書いているのかと初めてわかった。
頭にはいろいろ詰まっていくけど、腕前は一向に上達しない。
毎週月曜はこだわりのモノの話です。
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