山辺の道を歩く−15、内山永久寺跡を通って内山あたりを歩く。

峠をすぎて。

このあたりって、万葉の史跡がいっぱいで、もちろんそれ目当てに歩きに来てるんやけど、なんだか天理教関係の施設も多くあるみたい。

土地柄なんですなあ。

さっき峠を越えるあたりでもそういう施設の方が表の道路を掃除してはって、「あとちょっとやで、がんばりなはれ」みたいな声かけをしてくれはった。

ちょっと会話をしただけでも元気になるんやから面白い。

よう考えたら結構疲れてる。

さて、どんどん歩いてると、なんだか史跡みたいなとこがある。

 

金網で囲ってあるけど、上に行けるようになってる。

 

あじあん

内山永久寺跡。

内山永久寺跡って書いてある。階段を登ったら、少し見晴らしがよい。

目の前に、地図がある。

内山永久寺の全盛期の地図みたい。

なるほど、このあたりに壮大な伽藍があったみたい。

大和図絵にのるほどの大寺院であった。56の坊・院があったらしい。

なるほど、これが多分大和図絵なのであろう。

それが、明治の廃仏毀釈でなくなった。

この流れで廃寺になった寺はめちゃ多い。

時の流れなのか。

諸行無常ですなあ。

今となっては何もない。風が吹くばかり。

てなことでここを別れて元の道へ。

あじあん

すぐに、芭蕉の碑があった。

 

うち山やとざましらずの花ざかり 宗房(芭蕉)

芭蕉にしては・・なんてえらそうに思ったけど、若い頃の作品らしい。

芭蕉は伊賀の人やからこの辺に縁があっても不思議はないけど。

後にはずっと江戸におったはず。

後年、奈良から和歌山、大阪を巡った紀行文がある。

あじあん

『笈の小文』というやつだ。

よう知ったとこばっかり出てくるんでとても興味深い。

どうやら、杜国という愛弟子でもあり、恋人でもあった男と二人なかよく旅をした話のようである。

序文がすごいではないか。

::::
百骸九竅(ひやくがいきうけう)の中に物有(ものあり)。かりに名付て風羅坊(ふうらばう)といふ。誠にうすものゝ、かぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごとゝなす。ある時は、倦んで放擲せん事を思ひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかうて、是が為に身安からず。しばらく身を立てむ事をねがへども、これが為にさへられ、暫く学んで愚を暁(さとら)ん事をおもへども、是が為に破られ、つひに無能無芸にして、只此一筋に繋る。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其、貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時(しいじ)を友とす。見る処、花にあらずといふ事なし。おもふ所、月にあらずといふ事なし。像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。・・・
::::『笈の小文』序文より。
そしてこんな歌がでてくる。
旅人と我名呼ばれん初しぐれ 又 山茶花を宿やどにして
星崎の闇を見よとや啼(なく)千鳥
京まではまだ半空(なかぞら)や雪の雲
寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき
冬の日や馬上に氷る影法師

なんだかカッコええですなあ。

芭蕉の世界。

あじあん

てなことで、わしも山辺の道歩きを続ける。

あっち曲がって、こっち曲がって。

真っ直ぐはない。

一つ道もない。

いろんな道が交錯して、繋がって、

標識に導かれて、

次に行く。

景色がちょっとずつ変わってきてる。

あとちょっとと頭の中で響いてる。

どうかな?

内山永久寺跡の地図。

 

あじあん

山辺の道の旅をYouTube動画にしました。ご覧ください。

あじあん

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