マレーシアへ行こう!(リニューアル編)56-バトゥ・パハ、日本人倶楽部など。

9年前に書いた旅のブログをリニューアルします。文や写真、その後の気持ちや情報なども追加、リニューアルしてみたいと思ってます。

 

バスに乗る。

8時半になってもなかなか来いへん。10分ほど遅れてやっと来た。

と思うたらなかなか出えへん。これやったら、9時のバスでもいっしょやったんちゃうやろかと不安になる。

しかも、運転手は、客の一人と同郷やったみたいでえらく話がはずんでる。
むかつくなあ、いったい何時出るんやって聞きにいったら、もう直ぐやと言う。

ほんまかいな。

結局8時50分頃やっと出発した。
道中も、運転手はこの女性とずっと話ししてる。

「前向いて運転せえよ」って言いたくなるほどだ。そのうち、こっちへ来いと女性を運転席横に座らせた。

おいおい。

マイナーなバスは問題ありか?

あじあん

時々雨が降る。天気がよくない。

途中から高速を降りた。

街や村を抜けていく。

田舎道をどんどん走る。

道が狭いんで追い越しはできへん。

長い間ゆっくり走る。


こんなんで大丈夫かいなと思ってたけど、不思議なことに定刻の11時半にバトゥ・パハのバスターミナルに着いた。

あじあん

結果よければ総て良しかい。

まあ、ええか。

無事着いた。

あじあん

「マレー蘭印紀行」

「・・・街のつきあたりに、満水のバトパハ河のうちひらけるのをながめたとき、私はしおやまみずのいりまじった水のなかに、頭からずんぶりとつけられたように気がした。そのバトパハ河にそい、ムアにわたる渡船場のまえの日本人倶楽部の三階に私は、旅装をとき、しばらく逗留することになった・・・」
::金子光晴 「マレー蘭印紀行」中公文庫より。

 

 

こんな話を読んで影響されてここまで来た様なものなのだ。
その当時から何も変ってないかのようにくたびれきった街だった。

あじあん

炎熱の中やのにい日影がないやんか。

と嘆きながら河の方と思われるあたりを目指す。

まずは今も残ると言う日本人倶楽部を見てみたかったのだ。

暑さのせいか車も人もあんまり通ってない街をとぼとぼと歩いてたら河の匂いがしてきた。

街中は古ぼけたオフィス街やったけどこのへんまで来たら商店が多い。

亭仔脚というかどうか知らんけど、元々は軒下が回廊になった典型的な昔の中国風の建物でもある。

今では横長の建物を幾つにも仕切った長屋仕立てのそれぞれで雑貨やら食いもんやらを売ってるけど、通路は塞がってしまってる。

しかも遠目に見てもこの暑いのにエアコンなんかありそうにない。

金子光晴の当時は新開の街で、もしかしたら活気と退廃の街やったかも知れんけど、

今はもう時間だけが経ってしまった。それを由緒ありと言うのであれば、それだけはたっぷりある。

こんなん見ながらシャバンダル通りをとぼとぼ歩いてるとエンアン通りとの角っこに写真で見覚えのある建物が見えて来た

 

このあたりをウロウロした時の地図。

より大きな地図で バトゥ・パハ遊 を表示
あじあん

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