熊野古道、那智、田辺を廻る旅−13、補陀洛山寺。

補陀落山寺に向かう。

さて、那智駅前でまさかのフランス料理を美味しくいただいた。

大満足だ。

この後は田辺に向かうんやけど、まだだいぶ時間がある。

というか、もひとつ行きたいとこがあるんで、そのように調整したのだ。

なんせ、駅前には何もない。

で、国道を、バスが来た方向に向かって少し戻る。

5分ほどで、大木が鬱蒼とした、いかにも神社というあたりに出た。

 
あじあん

浜の宮王子。

入り口に「浜の宮王子跡」の看板がある。正式には「熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわやしろ)」と言う神社らしい。

ようわからんけど、由緒正しい、ありがたいお社ということだ。

知らんけど。

昔は、海辺にあって、海路から熊野に詣でる時に、最初にお参りするとこやったんでしょうな。

知らんけど。

なかなか由緒ありげで、静かで、ひっそりしてるのがとてもいい感じだ。

まっすぐ奥に向かう。

とても地味な神社であるけど、なんとなく威厳がある。

 

由来も書いてある。

 
あじあん

左手が補陀洛山寺である。

まるでお隣にお寺がある。一応仕切られてるけど、仲良く並立してる。

するっと横に移動。

まっさきに船が目に付く。

補陀落船だ。

恐ろしい。

補陀落山信仰の成れの果て。

和歌山の海は夕陽がきれいな海だ。夕方には太陽が海に沈む。

和歌山に住んでた子供の頃はよく見に行ってた。

その太陽に向かって手をあわせると西方浄土を拝んでるということになる。

西方浄土とは人が死んだら行くところ。

仏さんが迎えてくれはるところなのだ。

四天王寺の日想観というのも、年2回の彼岸の日に西方浄土に向かってお経を唱えながら行列するやつなのだ。

そういうやつがここでは、西に向かって船を漕ぎ出すという形になった。

えらいお坊さんが死期を悟ると、この船に乗って、西に向かう。そのまま仏様になったと信じられてえらい尊敬されたのだそうだ。

そのうち、死期が来んでも、歳をとったら、ぼちぼちちゃうかと催促顔をされるようになる。

だんだん、お尻がむずむずする。

気の弱い人はやむなく船出する。

そのうち、歳とった坊さんが誰もおらへんようになってきたら、若い人でも、ぼちぼちどうやという雰囲気になる。

コロナでもようわかった。

世間の同調圧力というのはかなわん力を発揮するのだ。

いやいや船に乗らされた人は、脱出しようとする人も出る。

そのうち、乗った人が逃げられんように外から釘付けすることもあったのだそうだ。

そうなると犯罪ではないか。

そういう悲劇の船がこの補陀落船なのだ。

信仰も嵩じたらあきませんなあ。

知らんけど。

てなことでお寺に詣る。

こちらもお寺としてはとても地味だ。

今、熊野詣として那智山の那智大社や青岸渡寺、那智の滝を訪れる人や、さらに大雲取を超えて本宮大社を目指す人たちも、拠点は紀伊勝浦や新宮になってしまてる。それはバスの発着点やから仕方ないんで、途中の那智駅あたりで降りて、わざわざ観光してみようかと言う人は殆どいないのだ。

バスの本数が少ないんで、途中で降りてしまうと、スケジュールが面倒だ。

そやから、このあたりはすっかり暇になってしまった。

熊野古道、那智大社、青岸渡寺、那智の滝、補陀洛山寺を廻る旅をユーチューブ動画にしました。ご覧ください。

 

補陀洛山寺の地図。

あじあんじゃんくしょん
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