武夷山、永定土楼、厦門の旅-10

10.武夷宮風景区
山からはチャッチャと下りたけど、カートがなかなか出発しない。
30分以上も待ってやっと出発、更に入り口のターミナルでは契約した
タクシーが待っていない。中々連絡とれず、やっと来たのは30分以上たってから。
早く行動しても何にもならん。「ぷんぷん」
武夷山ではまだ気になるところがある。
朱子学の創始者朱喜の記念館だ。ガイドブックには武夷宮風景区にあるとある。
近いのですぐ着いた。

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しかし、名前が違う。聞くと最近名称が変わったのだそうで、朱喜の記念館
であることは間違いないそうだ。
といってもあんまり何もない。それでまあ何かの記念にと
拓本を買った。本人自筆の石碑からとったのかはわからないけどまあしかたない。
そんなに著名じゃないので拓本専用の碑をつくってもしようがないから
もしかしたら本物と勝手に決めてしまった。
さすがに「少年老い易く・・・」は避けて、別のものにした。

同じ建物内に柳永という人の史跡も納められている。
というより、こちらの方がメインのようだ。
日本のガイドブックにはないけれど中国では有名みたい。
毛沢東も絶賛したと言っている。

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この詩なかなかいい。

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雨霖鈴 柳永
寒蝉淒切 對長亭晩 驟雨初歇。
都門帳飮無緒 留戀處 蘭舟催發。
執手相看涙眼 竟無語凝噎。
念去去千里煙波 暮靄沈沈楚天闊。
多情自古傷離別 更那堪 冷落清秋節。
今宵酒醒何處 楊柳岸 曉風殘月。
此去經年 應是良辰好景虚設。
便縱有千種風情 更與何人説。

ジャンルからいうと宋詞ということだ、詩ではなくて詞だという。
唐詩は酒、宋詞は茶と言われるみたいで、多分、唐詩は悲壮、豪壮
だったりするが、宋詞は雅な風情なのかもしれない。

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柳永は進士に合格した秀才でありながらも、腐敗した官につくことを
潔しとしないで野に下り、市井の巷で遊女達と交歓の暮らしに耽ったそうな。
それで、詞だけでなく、音曲の名作を沢山残した有名人ということだ。

日本に帰ったら宋詞についていろいろ調べてみようと思った事であった。