紀伊神谷駅あたり、お散歩終了。
時間がないかもって焦ったけど、思ったほどはかからなくて余裕で駅に着いた。
やっぱり、ええ感じの駅ではないか。
南海高野線は、難波から河内長野、から、千早口あたりまではほぼ平地を走る。
そこからは、天美、紀見峠と、紀伊山脈を抜けるトンネルがある山の中を少し通って
橋本まで来る。ほぼ都会の郊外型電車の風景のまま走ってる。
急行はほぼここまでだ。
橋本から、直通の特急や一部の電車以外は、乗り換えて、学文路、紀伊清水、九度山と
いきなり山里ローカル感満載の路線に切り替わる。
ここら辺からはひたすら山に入っていく。
車窓から見る紀伊の山々はとても大きい。どこまでも続く山並みが果てしなさとは
このことかと思わせるほどだ。
遠くから見る紀州の山々がわしは大好きだ。
九度山を過ぎたあたりから電車はどんどん山を登り始める。
電車から下を眺めれば、川が付かず離れずついてくる。
電車はキーキーと独特の軋み音を鳴らしながらどんどん登っていく。
高野下、下小沢、上古沢、紀伊細川、そして紀伊神谷、最後は高野山極楽橋だ。
この辺りは、山高く奥深い土地柄ではあるけど、昔から高野山の参詣道でもあり、
かつては山林の切り出しで賑わったり、鉱山の採掘で栄えた時期もあったらしい。
今は昔の感はあるけど、どこにもそういった集落の名残が残っていて、
かつての、それなりの裕福だった歴史が窺えるほどでもある。
そういう集落の、最寄りの駅が今となっては秘境駅になっている。
高野山は「こうや」山という山があるわけではなくて、山の上にある「高野山」という
地名のようだ。ちなみに、わしが暮らす「九度山」というところも、山の名前ではない。
それはどうでもいいけど、「高野山に行く」というのは、峻険な山の頂を目指すと
いう気持ちのベクトルを指すのではなくて、山の上にある聖地に参るという
気持ちのベクトルを表すと思って良い。
それなので、電車が、あるいは車で、あるいは歩いて、山を登っていても、
ただ、森の奥深くに、ご利益がありそうなところに、近づいて行ってるという
登山とかとは又違った感覚がある。
そこからは、天美、紀見峠と、紀伊山脈を抜けるトンネルがある山の中を少し通って
橋本まで来る。ほぼ都会の郊外型電車の風景のまま走ってる。
急行はほぼここまでだ。
橋本から、直通の特急や一部の電車以外は、乗り換えて、学文路、紀伊清水、九度山と
いきなり山里ローカル感満載の路線に切り替わる。
ここら辺からはひたすら山に入っていく。
車窓から見る紀伊の山々はとても大きい。どこまでも続く山並みが果てしなさとは
このことかと思わせるほどだ。
遠くから見る紀州の山々がわしは大好きだ。
九度山を過ぎたあたりから電車はどんどん山を登り始める。
電車から下を眺めれば、川が付かず離れずついてくる。
電車はキーキーと独特の軋み音を鳴らしながらどんどん登っていく。
高野下、下小沢、上古沢、紀伊細川、そして紀伊神谷、最後は高野山極楽橋だ。
この辺りは、山高く奥深い土地柄ではあるけど、昔から高野山の参詣道でもあり、
かつては山林の切り出しで賑わったり、鉱山の採掘で栄えた時期もあったらしい。
今は昔の感はあるけど、どこにもそういった集落の名残が残っていて、
かつての、それなりの裕福だった歴史が窺えるほどでもある。
そういう集落の、最寄りの駅が今となっては秘境駅になっている。
高野山は「こうや」山という山があるわけではなくて、山の上にある「高野山」という
地名のようだ。ちなみに、わしが暮らす「九度山」というところも、山の名前ではない。
それはどうでもいいけど、「高野山に行く」というのは、峻険な山の頂を目指すと
いう気持ちのベクトルを指すのではなくて、山の上にある聖地に参るという
気持ちのベクトルを表すと思って良い。
それなので、電車が、あるいは車で、あるいは歩いて、山を登っていても、
ただ、森の奥深くに、ご利益がありそうなところに、近づいて行ってるという
登山とかとは又違った感覚がある。
まあ、そんなことはどうでもいい。
駅に入る。
有人駅とは言え、切符を買ったりするのは面倒そうやけど、今やピピッとやるだけで
事がすむ世の中なんでとても便利だ。
他にお客は誰もいない。
広いホームも独り占めだ。
とはいえ、べつに何も嬉しくはない。
わしの乗る電車がやってきた。
これに乗って帰る。
次は紀伊細川駅探訪かな。ちょっと涼しくなったら。
gopro撮影した動画をユーチューブに投稿してみました。
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ありがとうございました。