司馬遼太郎、「人間の集団について」・ベトナムから考える
ベトナムの人達、特に若者たちで、日本に関心を持っている人は非常に多いと思う。
更に日本と又は日本に来てビジネスをしたい、ビジネスをもっと盛り上げたいと
考えている人も非常に多いと思う。
しかし、残念ながら今、日本の経済は沈滞ぎみなのでそういう人達も頑張るが
空振りに終わっているという事も多くなっている。そういう友人達もいるので
少し残念だ。彼らを見ていると、ちょうど日本の高度成長期になりかけの頃に
よくにていて、若者たちの高揚や意欲が昔のわがことのように思えて応援したく
なるのだ。
この本は、そういう近代ベトナムが始まる直前のサイゴン訪問時に書かれた
本だ。南北に分かれて、東西陣営から溢れる程の武器弾薬をもたされて、
戦争をし続けざるを得なかった哀しい時代をよくとらえている。
ベトナムの人たちの心やさしい人間性はその頃も今も変わっていない。
しかし、戦争が終わって明らかに変わってしまったものがある。良い事も沢山
あるだろうし、もしかしたら失ってしまった大事なものもあるかもしれない。
そういう事をもう一度考えさせてくれる本だった。
勿論、我々の越し方行く末もだけどね。
入江泰吉、関信子、「仏像のみかた」
中国を旅していると、仏像に出会う事が多い。
日本でも、特に今の季節、どう巡り合わせたのか、特別展示とかがあちことで
あって、普段見れない仏像を拝見する機会がたくさんあるようだ。
それで思ったのだが、漫然と仏像をああそうですかと見てきてしまったが、
実はどういう仏がどういう衣服の着方をしているとか、どういう座り方を
しているとか、どういう印の組み方をしているとかは決まりがあるそうだ。
勿論仏像と仏像の配置の仕方もちゃんとした規則がある。
経典を知り尽くせばおのずとわかるのだろうが、そうまでしなくても
イコノグラフィという形で分類整理されているので、それを知れば、逆に
この目の前の仏像は何と言う菩薩なのか如来なのかがわかるという事なのだ。
わかればどうだという程のことではないが、何故こんな姿でいるのか
何を意味しているのか分かってみると又、味わいも深くなるかもしれない。
そういう本だ。
毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。