九度山暮らしのある日、映画、「台湾、街かどの人形劇」に行った。

映画、「台湾、街かどの人形劇」に行った。

実に久しぶりに映画を見に行った。九度山暮らしを始めてから殆ど映画を見に行ってない。
都会に出ていく機会が極端に少なくなったし、行くときは折角やからいろんな用を
まとめてこなすようにしてる。となると映画を見に行く時間を捻出しにくいし、都合よく
見たい映画があるわけでもない。
そんなこんなで長いこと映画を見てなかったのだ。
今回たまたま、見たいなあって心の中にBMしてたやつが、ちょうどええ具合に大阪に
出る用と空き時間調節に活用できるということが判明した。
なんと有り難いことではないか。
てなことで十三を目指す。第七芸術劇場だ。「台湾、街かどの人形劇」というやつを
見たかったのだ。
台湾の人形劇、布袋戯という。
伝説の大家、天才、李天禄の技を長男、陳錫煌が受け継いだ。80歳を過ぎても求められれば
世界中を飛び回って公演を続けている。
片方のあるいは両方の手に人形を被せる。そして中の指の動きで人形の手足の動きから
顔を表情に至るまで、手と指の微妙な動きで緻密に表現してみせる。
例えば、硯で墨を摺る微妙な動き、筆に墨を含ませて流麗な書を描く様、
ある時は老人がキセルに日をつけて優雅にタバコを吸ってみせる。煙も
人形の口からでてくるから驚きだ。それに威張りちらす役人、恥じらう娘、ちょっとした
動きでいかにもと見せる技の冴えがあるのだ。

日本の文楽とはまた違う。人形はとても小さい。手のひらを覆うていどの大きさだ。
そやからかどうか芸をの技を磨く方法や内容にはかなりの違いがあるようで、もちろん
文化や成り立ちも全然違うから比較して考えることは出来へんと思う。
しかし、人間の仕草や感情をわかるかわからんかの微妙な動きで表現してみせるという
ところには共通するものがあるのではないかと思う。
それでも京劇みたいなのが元のなってるんか、小さい人形とは言え、動きは派手で
大きくて、音楽もけたたましいんでわれらが思うような奥ゆかしい文化のかおりとはちょっと
違うみたいではある。
それにしても、映画の中で指だけの動きを克明に撮影してたけど、これがあると彼がいなく
なったあとも芸の伝承にとても役立つと思えるんやけど、その動きはとても優雅で
洗練されたものであった。
そして後継者も育ってる。順風満帆やないかと言うとそうでもない。
絶滅の危機に瀕しているらしい。
つまり客がいない。興味を持つ人が少なくなった。
元々布袋戲って庶民の暮らしの中にしっかりとあった。
わしがなんで布袋戲を知ったかと言うと、東山彰良の「僕が殺した人と僕を殺した人」の
中で金に困った若者がなんとか金を稼ぐために布袋戲をでっちあげて演じるというとても
印象的な場面があったからだ。何かがあると神に捧げるために、あるいはちょっとした
娯楽のために、それが催されるようなのだ。
そういう機会がとても減ってきたようだ。
そして、伝統であるからこその後継者選びの問題もあるらしい。
彼は長男でも父の名前を継げなかった。
そして、またこんどは、一番弟子であっても後継者に指名されなかった。
それはなぜか?
いろいろな問題を抱えながら、伝統芸は守られていくのか?
とても面白い、興味深い映画であった。
是非劇場でご覧あれ。

 

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ありがとうございました。