映画、「ヴィヨンの妻」

メジャーな映画のようでちょっとためらいはあったが、
太宰治は好きな作家なので、どんな風な映画になっているか興味がわいた
ので行ってみた。
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「ここを過ぎて悲しみの市。」
 友はみな、僕からはなあれ、かなしき眼もて僕を眺める。友よ、僕と
語れ、僕を笑へ。・・・ああ、僕はこの手もて、園を水にしづめた。
・・・・・・
これは、「ヴィヨンの妻」ではなく、「道化の華」の出だしだ。
この話も心中がテーマになっていて、死に損ねた男が主人公だ。
太宰の文章は繊細で美しくて、しかも鋭い言葉が並んでいて、とても
魅力的だ、しかし、その中でうごめいている男はどうにもならない
身勝手で無軌道なやつだ。しかも人たらし。
現実の太宰もそんな人だったのだと思う。
映画はそんな雰囲気をなんとなく伝えていて好感が持てた。
映像も、戦後すぐの貧しいが元気をとりもどしつつある時代の空気が感じ
られるような風景で好い感じであった。
しかし、女性がからんだ話はちょっと綺麗事に変わってしまっていて、
切り込みが少し足りないのではないかと思ってしまった。
有名女優を汚さないようにつくりすぎじゃないのだろうか。
原作では、あの若者は大谷のいない時に家まで送ってきて一旦帰ったものの、
又戻ってきて強引に泊り込んで、朝方
彼女を犯すという話になっている。私としては、その方が全体として納得
できる形になったのではないかと思った。
映画の中で焼酎を飲むグラスがいい。鉛が入ったような、温かみのある感じで、
一見安ものぽいようで、なかなか味のある色形であった。
どの店でも同じというのは、小道具だからしょうがないのかもしれないけど
場末の屋台であんなのに安酒を満たして飲むのは好いものだ。
これを見てああいうグラスが欲しくなった。

eiga091029
こんな話もありますよ。
「雀こ」
長え長え昔噺、知らへがな。
山の中に橡の木いっぽんあったずおん。
そのてっぺんさ、からす一羽来てとまったずおん。
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言葉につかまってしまいますね。
毎週木曜は映画、音楽、書画に関する話です。