ことしも日本南画院展の公募に出品しました。一応入選はしました。いつものように
賞はもらえませんでしたが今回は100号、大きいやつを描いてみました。
わしが水墨画の勉強を初めてもう10年以上経つ。長いもんだ。しかし、一向に上手に
ならへんのは精進が足りんのか元々才能がないんか、全然進歩せえへんわけではないん
やろけどその歩みは遅々として牛歩の如しなのだ。
それでもまあ何かの証が欲しいなあって思いつつ時々なんやかやと公募展に応募
したりするけど賞を頂いたり頂かなかったり色々だ。
ところでわしが描いてる水墨画はどういうジャンルに当てはまるんやろといつも
不思議に思っている。元々、中国人に習っていて、その後、中国の杭州の美術学校に
3ヶ月ほど留学したんで、結構中国流が基礎になってしまってるんで、日本で
いろんな展覧会を見たり応募したりしても微妙に流れが違う気がするし、どっかの
先生の流派のどうのこうのというのには属してないし、属したことがないし、
わしは別モンやぞっていばる気はないけど、そういう先生の門下に入る機会もなかったんで
未だに自己流でやっている。そうなると同じ水墨画でもどこか違いがあるようで
技術の違いとかでは測れないなんかが存在するような気がして、ここで頑張ろうと
いうような世界にはなかなか巡り会えないような気がしてならない。
簡単に言えば居場所がないようなのだ。
元々、水墨画=墨絵というのは言い方の違いだけやとおもうけど、今の日本の墨絵を描く
人たちの殆どが水墨画=墨絵=南画と思っているようで、そこにかなりの違和感を
感じるのだ。
南画というのは元々は中国の南宋時代にその首都であった杭州、浙江、江蘇のあたりで
活躍した画家の絵を言うんでとても古典的な画法になる。それが中国、日本における
水墨画の基本になってることは間違いない。中国でもそれを基本にして、更に高みを
目指して現在の中国画の流れができてるように思う。日本では、南画が一時隆盛で
あったことがあるけど、日本画との境目がわからんようになりながら、いっそ
日本画の一つのジャンル、あるいは手法として存在感ができていってたらよかったん
やけど、明治維新の時に洋画(外国の吸収すべき新しい文化)と日本画(日本古来の文化)
という考え方の中で、日本画の中から水墨画(落ち目の中国から来た文化)は国の
方針として排除されてしまったのだった。
そやから除け者になった水墨画はとても曖昧なジャンルになってしまって、
存在感が薄れるばかりとなってしまってる。
それに、今となっては、もしかしたら、元々の水墨画の世界というよりは墨で描いた
水彩画に近い世界のなかで、水と墨の技法を高めようとしてはる人たちも多いんとちゃうやろか?
最近はそういう構図を沢山みる機会が多い。
それを近代的な水墨画って言うてはる人も多いんとちゃうやろか?
確かに元々の南画(南宋画)はカッコええけど今となればどっか古臭い面もある。
それにその技法をきちんと教えてる人は日本には少ない。
でも、日本の昔の南画でより深まった侘び寂びや余白の美、高雅、気韻、そんなもんが
どんどん絵の中から消えて行くんであったら寂しい限りだ。
てなことをいくらエラそうに叫んで見ても、エエ絵が描けてこそ説得力があるんで
頑張って成る程って言ってもらえるような絵が描けるようにならんとあかんのだ。
先は遠いなあ。
因みに、日本南画院展の大阪展は大阪市立美術館 地下展覧会室で
4月25日〜30日です。
もしご興味がある方はご覧下さい。有料なので申し訳ありません。
もう終わりましたが、京都展、東京展には私の作品は展示されていません。
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ありがとうございました。