「さかな」の碗

手元に小振りの磁器の碗がある。
頂きものだ。
私の好きな景徳鎮の磁器だ。
お礼ということで頂いたものだが、お礼にしては過分なものだったかどうか
詳しくはわからない。
自分で買ったものではないが中々気に入っている。絵付けがいいではないか。
「さかなさんだからさかなの画でちょうどいいでしょう」と言う事だった。
まさにそのとおりだ。
このさかな、水中を自由に泳いでいるような、あるいは空中を自在に漂って
いるような不思議な風景の中にいる。
魚も草も花もおおらかで気持ちが言い。
それに形も味のある形をしていて面白い。
「魚」という漢字は中国語では、「余」という漢字と発音が同じだから
中国ではお金が余る、財産が余るということで縁起のいい文字とされて
いて、昔から焼き物の画にも沢山登場するのだ。
裏を見ると明の時代のように描いてあるが、本当かどうかはわからない。
もし本当ならかなりの値打ちになるだろう。
しかし、たとえ本物でなくても、陶芸の技術を昔の作品を模倣することは
よくある話で、私はそれはそれでいいと思っている。
決して値打ちがないわけではなくていいものはいいのだ。
ところが、そういうものにしても最近はバブル気味で値段がとても高くなって
いるから、だんだん気軽に買えなくなってきた。
いいものは高くてもしょうがないが、普通のものは適正な価格で買える普通の
状態に戻って欲しいものだ。
それはいいとして、この、「さかな」、大事に使うとしよう。

wan101025-1 wan101025-2

毎週月曜はこだわりのモノの話です。