能、「祇王」

ずっと前にベトナムの人達を案内して嵯峨野に行ったことがある。
その時に祇王寺にも行ったのだった。行く前はほんのちょっとした茶室
のような建物がひっそりと建っているのだと思っていた。竹藪を抜けて
坂をのぼっていると確かにひっそりした門があったが、中に入ると
かなり立派な建物であったので意外な感じがした。
能の「祇王」はこの祇王と仏御前の話だ。
白拍子の仏御前は何とか世に認められたいと、祇王に仲介をたのんで
平清盛の御前で舞を見せることになる。
最初は見たくも無いと思っていた清盛が、実物を見たとたん、えらい
気に入ってしまって、そのまま愛妾にしようと決めて、祇王には
もう帰れと言う。
これはえらいことになったと気が咎める仏はどうする・・・
大体こんな話で、権力者の我儘とそれに翻弄される女性たちの悲劇を
描いたものだ。
シテが二人も出て、相舞を舞うのは壮観ではある。
けど、ちょっと納得いかないのは、清盛に会って、気に入られたら
そうなるのはわかってたはずと思う。
それでもいろいろ無理をしてやっと舞を見て貰って、そのあげく首尾
良く気に入られたら予想通りの事が起こったはずで、それで祇王に
対して後ろめたいとか、申し訳ないとかはおかしいではないだろうか。
見ながらぐちぐちと変な事ばかり考えていた。
簡単に言うと、あんまり面白くなかったのだ。
やはり、霊界と現実とはいりまじって夢幻の世界をつくる舞台の方が
面白い。
もっと研究して見に行かないといけないのだ。

nou101021

毎週木曜や映画や音楽、書画に関する話です。
本日は能に関する話でした。