時々、奈良遊、西ノ京へスケッチにいく-3、唐招提寺の裏側を回って垂仁天皇陵へ。

さて、行けども行けども唐招提寺の森が見えるだけ、畑の中を迂回してやっと線路を超える。
目の前に古墳のようなこんもりしたところと池が見えた。

池には水鳥が泳いでいてとても良い感じだ。

空にもなんやら飛んでるけどなんかはわからん。
後で、説明板のあるところに行ったら、宝来山古墳と言って垂仁天皇の御陵なのだ
そうだ。
その手前に何やら円こいモンが見える。あれも古墳の一部なんやろか?
振り返ったら、看板があった。

なるほど、田道間守(たじまもり)と言う人の墓らしい。垂仁天皇の命を受けて
不老不死の妙薬といわれる非時香菓(ときじくのかくのみ)を求めて天竺まで行った
らしい。(ほんまかいな?)艱難辛苦の上に(書いてない)やっと見つけて、持ち帰ったら
天皇はもう崩御されてたということらしい。それを知った田道間守は悲しみのあまり哭死したと言う。
ということで、垂仁天皇の御陵の前に彼の墓も作られたのだそうだ。(ほんまかいな?)
その時持ち帰ったのが写真にあるヤマトタチバナというやつらしい。それがミカンの
元になったと言うことで、そのゆかりの神社が和歌山県の海南市、下津にある
橘本神社というらしい。えらい色々と話がつながってとうとう実家のあった海南市まで
行ってしまった。近くにはみかん発祥の地、「六本樹の丘」というのまであるらしい。
なるほど、お茶の発祥の木ちゅうのは中国や台湾で見たけどみかん発祥の木は海南に
あったんか?
まあ、それはどうでもええとして、古墳の隣には刈り入れの終わった田んぼがあって
稲わらが干してある。

ついこないだこんな風景を中国で見たなあ。こないだは中国、浙江省の殆ど観光化
されてない古村巡りにいってきた。観光化されるという意味は、中国の場合、今、
現在の村の生活は殆どなくなって生活跡みたいな形で環境や建物が保存されて、
全体が巨大なテーマパークでありお土産やさんばっかりになってしまって、面白くも
なんともなくなる場合が多いんやけど今回は十分生活があって、それを垣間見させて
もらうような旅だったんでとてもよかった。
稲刈りのあとも同じような風景があちこちにあった。
こんな風景は絵に描きたくなるのだ。
中国ではこんな言葉を見かけた。「漁樵耕読」。
謂わば、「晴耕雨読」みたいな感じの言葉やと思う。
理想やけど、できへんなあ。

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ありがとうございました。