最近、京都では結構でかい展覧会が始まりそうだ。絵も国宝や、超名品が沢山でる
ように聞いている。すごいなあ。行きたいなあって思わんではないけど、あの行列を
考えるといやになる。2時間も3時間も並んで入る順番を待って、入ったら入ったで
ちびちび進む列のあいだからチラチラ見るだけ。長居はできない。下手したら他人の
頭越しにちらっと覗くだけ。消化不良も甚だしい。しかも大抵の名品は見たことがある。
しかもゆっくり見たことがある。そんなやったらやめとこなんて思っている。
しかし、いい絵をじっくり見る機会は欲しい。そんな気分の時に、昔からの友人が
FBに奈良県美術館で「不染鉄」展をやってるよってアップしてた。何それ?って、
わしは恥ずかしながら不染鉄なんて人を全く知らんかった。ちょっとネットで見て見た
けどようわからん。ポスターの絵を見る限りはなんだか面白そうだ。
巨大な風景が俯瞰されて幻のように浮かび上がっている。詳細なようで、幽玄なようで、
繊細なようで靄もやのようで、とても気になる。
百聞は一見に如かずと言うではないか、とりあえず行ってみよう。
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平日の近鉄奈良線は空いている。観光客もそれほどはいない。しかし、奈良駅に
着いてみると結構観光客が多い。特に欧米系の人たちが多いんではないやろか?
駅の改札や案内所に行ってどんどん質問してはる。こんなのええなあって思う。
外国にむかってどんどん開かれている。あんまり英語を苦にせんと相手できるように
なってきてる。相手さんもあきらめんと食いついてくるようになってきてるようだ。
距離がどんどん縮まってきてるようでとてもええ感じだ。
天気はええし、心は穏やか、お昼ご飯はとても満足やったし、観光客が少なめの
奈良公園あたりを歩くのは気持ちが良い。
じきに県立美術館に到着する。
おや、入場料フリーって書いてある。しめしめ。
おや、待てよ、外国人だけではないか。中国人か台湾人のふりをして行ってみようか?
中国語で喋る振りしたら行けるんとちゃうやろか?
やっぱり、それはせこいなあ。やっぱりちゃんと払おう。
で、中に入る。
おおっ、1点目からすごいやん。想像と全然違った。
墨の濃淡を大胆に使った大作だ。こんなんええなあ。すごいなあって感動する。
朦朧体とか片ぼかしの技法を使ってるっていう。
そして奈良の風景、唐招提寺や薬師寺のあたり、農村の中にとけこんで立つ寺院と
塔、農作業をする人たち、日暮れて家で憩う人たち、人と自然が見事に描かれている。
不染鉄が過ごした漁村や、農村、何気無い風景が、巨大な画布の上から立ち上がって来る。
極端に少ない色と線、思い切り迫って来る墨の濃淡。
こんなん描きたかったんやって思う絵が沢山ある。
それに、画賛が良い。よくあるような漢詩や漢文調の漢字文ではなくて、
普段の言葉であったり、簡単な散文、詩文であったり、普通の日本文で綴ってる
のがとても好感がもてた。誰も読めない漢語を、今となってはよその国の言葉を
勿体ぶって並べるよりは、今の世の中で生み出す芸術なら今の世の言葉を使うべき
ではないかと考えるからだ。
同じように、登場人物も昔の人ではなくて、今の人の姿であるのが好ましい。
かなりのスペースでかなりの作品を展示してるけど、見飽きることはなかった。
それより、是非、帰って絵を描くときの参考にと画集を買ってしまった。
ただ、帰ってよくみたら、当然かもしれんけど画集から伝わってくるものと、現場で
みた感動とはかなり違う。墨の微妙な変化は印刷で表すのは難しいんやろと思う。
それでもよかったなあって思った。
しばらくは影響されまくりかもしれん。
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ありがとうございました。