今年は春の田植えの季節に中国雲南省の棚田を廻る旅をした。
山の下から上の方まで、あらゆる斜面を埋め尽くして何千、何万もの田圃が
並んでいる様は実に壮観であった。しかも、そのそれぞれの田で田植えが
為されていて、昔から言われる雲南の豊穣というのを実感したものだった。
日本に帰ると、日本でも田植えの季節になっていた。やはり米の国だ。
日本の田圃も中国にまけずに美しい。
それでいつものウィーキングの道すがら、稲が育っていくのを気にするとも
なく見ていた。
9月になると稲の穂がたっぷり実ってきた。
収穫も近いのだろうとわかる。
10月になるともう刈入れが始まりそうだ。
よくしたもので二十四節季の「寒露」の頃にあたる。
自然の教えは良くできている。
そう言えば、陶淵明にこんな詩がある。
耕種有時息 耕して植えて、息う時があっても
行者無問津 道徳がどうのとやかましく問う人もいない
日入相与帰 日が沈んだら一緒に家に帰って
壺漿労近隣 隣近所あつまって酒を飲もう
長吟掩柴門 門を閉めて歌でも歌えば
聊為朧畝民 りっぱな田舎おやじといえるじゃないか
若干、すねものではあるが、陶淵明、五柳先生の田舎暮らし、共感するところが
多い。