京都、「みやこめっせ」で篆刻グループ展

京都まで月に2回篆刻を勉強に行っている。篆刻の技は一向に上達しいへんけど、
そこの仲間達とランチに行ったり、ベチャクチャと比較的どうでもええような
事どもを交流するというのが楽しくて続いている。そういうええかげんな勉強でも
時には、というと2年に1回くらいなんやけど、グループ展をやるという話があって
作品を大わらわで作らんとあかん事がある。先生は京都市内で手広く教室を開いて
はるんで参加総数は70人80人と大変な数になるらしい。
それやったら偶にはちょっとまじめに作品を作ってみようかと思った。
ふだんが不真面目というわけではないけど作品というからにはそれなりにストーリーが
要るではないか。
とりあえず石を彫るのがスタートだ。幸い、前に中国の杭州で買ってきた変則的な
結構大きな石が手元にある。これやったら短い漢詩を全文載せることができるかも
知れん。
ちょっと色々策を練ってみて、李商隠という人の「楽遊原に登る」と言う詩がええんでは
ないかと思った。五言絶句やから5x4=20文字で全文入れるにはちょうどええ
大きさだ。さっそく挑戦してみたら、大きさはともかく変則的な石やからなんか、
安もんの石やからなんか、節みたいに硬いとこが随所にある。そういうとこは
なかなか、文字通り刃が立たたん。つるりと滑って字にならん。それでも強引に
彫っていくと手が痺れてきた。
詩はこんな具合だ。
楽遊原に登る
晩(くれ)に向(なんなん)として意(こころ)適(かな)わず、
車を駆(か)りて古原に登る。
夕陽(せきよう)無限に好し、
只、是れ黄昏に近し。
これはちょっと絵になりそうだ。篆刻の作品やけどわしは水墨画をやってるんで
水墨画を添えよう。
ちょっとええ感じになってきた。
只の自画自賛。
でついでに遊印として木印で彫ったやつを押しとこう。
「山気日夕に佳し」
陶淵明の「飲酒」詩に出て来る句だ。
側款も重要だ。
側款というのは篆刻作品の横に作者の名前や彫った意味、意図なんかを記入して、
印を押すんではなくて拓本のように墨で拓をとるのだ。
タンポやブラシやいろんな道具が要るんでこれも一つの遊びになる。
「寂寥ノ心ハ過ギユク美の儚サヲオモフヤ
丁酉(ひのととり) 泥魚」
なんて書いてみた。
最近ちょっと側款にも目覚めたんで色々挑戦したいと思ってる。

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ええかっこして見たけど他の人はもっとすごい。本格的なやつばっかりだ。
直ぐにも公募展にだせそうな作品ばっかり。
許可を貰ってないんで残念ながらブログには載せられない。
因みに沢山の人が見に来てはった。こういうマイナーな世界では出展者の誰かと
何らかの関係がある人が殆どなんで、今回もそうやからいかに関係者が多いかと
いうことがよくわかる。それでもたまたま飛び込みで来はるような勇気のある人
もいてそういくきっかけで世界が広がることもあるから面白い。
我なの仲間の小作品を持ち寄って遊んでみたやつも紹介しよう。

koku170607-2

併せて一つの巨大な印に見えるかもしれんように作ってみたのが面白いかな?

こんな話をぐだぐだ書いても関係ない人には何の興味もないんやろなあって思う。
読んで頂きありがとうございました。

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ありがとうございました。