大分以前に本で、「曽根崎心中」を読んでから人形浄瑠璃が好きになったのだ。
その後、何回か文楽に行ったが、残念ながら「曽根崎心中」はまだ見ていない。
まあ、「文楽であったら何でもええか」という部分もあるのでそれはそれでいいのだ。
今回の出し物は「菅原伝授手習鑑」と「日本振袖始」の豪華二本立てだ。
予約する時にえらい早い目だったので、「どこがいいですか?」と言われて、選べる所が
多すぎた。わからんままに「出来るだけ前の真ん中あたり」というと、
「前から2番目の列の真ん中が空いてます」というので、
「それはええな」と喜んだ。
しかし、入ってみて分かった。あまり前過ぎると、確かに人形を見るのにはいい。
人形の細かな仕草や、息遣いまで伝わってくるかのようだ。
しかし、逆に全体が見えない。
中央で主役が見栄をきったり、口上を述べたてたりの派手派手しい場面でも、同じ時に
隅のほうで家来が持ってきた荷物をそっと片付けていたり、こども同士がこちゃこちゃと
いたづらしたりしてるのが面白いのに、かなり首を回さないと見えないのでユーモアが
すんなりと腑に落ちない。
一番の問題は浄瑠璃語りの太夫が全く視界から消えてしまうことだ。
大声を張り上げ、声を震わせ、泣きの涙の聞かせどころに舞台もみながら太夫も見ながら
堪能したいのに、太夫を見ようとおもったた、「ぐいっ」と顔を横向けないと見えないのだ
「これからは前過ぎるのもあかんなあ」
大反省だ。
もう一つ気がついたのは、舞台の幕の上のところに大液晶パネルが設置してあって、
浄瑠璃語りの文章をそのまま流しているのだ。ちょうど舞台のはるか上になるのであまり
じゃまにならずに見る事ができるし、文字も大きくて読みやすい。
最初にそれがあるのに気がついたけど、「わしゃ、あんなん見やんでもわかるで」と
誰も知り合いがいないのにひとりでで見栄を張って見ないようにしていたが、
それでも時々ちらっちらっと見ると、意外と、実に、分かり易いではないか。
しかし、前の席でそればかり見ていると、首も疲れるし、舞台がおろそかになるので、
ほんの時々しか見ないようにはしたが(ここでも見栄をはっている)
やっぱり非常に便利であった。
松王丸が大見えを切る、「菅原伝授」もなかなかよかったが、スサノオノミコトの
ヤマタノオロチ退治の大立ち回りも面白かった。
伝統芸能は楽しい。
久しぶりに文楽に行った
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