最近夢中で読んだ本の話、鈴木牧之、田代慶一郎

  • 2010年7月20日
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鈴木牧之、「北越雪譜」
図書館に注文していたこの本がもよりの館に届いたとメールが入った。急いでとりに行った。
「古い方と新しい方のどちらがいいですか」もちろん古い方がいいに決まっている。
古い方は間違いなく旧漢字だし、旧かなづかいだ。著者名も右から左に流れているではないか。
古びている方が味がよい。
大分前のブログで新潟、塩沢の酒、鶴齢を紹介した時、「北越雪譜」が書かれた土地でできた
酒とあった。それで興味を抱いて読んでみたのだ。
これは素晴らしい本だ。酒を飲みながらじっくりと味わうに足る本なのだ。
画もいい。挿絵というより一幅の画だ。京水百鶴とある当時有名な絵師だったのだろうか。
昔、北越が今よりもはるかに雪が深かった時代の話だ。
1年の半分近く雪のなかにひっそりと暮らす日々のなかでおきたさまざまな逸話を拾い集めて
一幅の画にもし、お話にもしながら綴りあげたものだ。
ここは鮭が産卵にくる地でもあった。例えば、雪凍る真冬の夜、病気の母の為に、鮭をとろうと
苦心している夫の様子を見にいった妻が、さぞ寒かろうと川からあがってきた夫の為に松明を
2,3本残しておいた。ところがその愛があだになって、その松明が、夫の命綱を焼き切って
しまったのだ。夫は行方知れずになってしまった。
この地は雪がつもると田も畑も一面真っ白でどこになにがあるかわからなくなってしまう。
そんな時でも、手慣れた百姓は、あやまたずに自田のこえおけを一瞬でさぐりあててしまうのだ
そうだ。
かき氷の元となったけづり氷の話、天麩羅というものを考え出したという話、小千谷ちぢみの話。
楽しい話が一杯だ。
峨眉山から流れ着いたという、峨眉山の道案内標識の話まである。中国からはるばる流れ着いた
というまことしやかな話も伝わっているのだ。
おもろいおもろい。

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田代慶一郎、「夢幻能」
加藤周一の映画、「しかし、それだけではない」を見ていた時、「夢幻能」が出て来た。
何で夢幻能がでてくるんやろうと気になって、夢幻能の本を読んだのだ。
夢幻能というのはこの世とあの世の交錯する世界を創ったものだった。
世阿弥の頃の幽霊は後の世のおどろおどろしい妖怪もどきの存在ではなくて満たされぬ魂の
ようなものであったらしい。薩摩守忠度が和歌の師、俊成に認められその歌を勅撰集に採用
されながらも、平家であることを憚ってよみ人知らずとされたのが彼の怨念であった。
ワキが現れる。諸国一見の僧、実は俊成ゆかりのものだ。旅の空、たまたま(実は霊のみちびきで)
ゆかりの地に行きあたる。村人がシテとなって現れる。
たちまち辺りの空間は夜になり、時空がつながって忠度の霊があらわれる。
そして、俊成の子、定家に読み人の名を記すよう頼んでくれと懇願する。
是非、本物の能を見てこの夢幻時空の世界を体験してみたいと思っている。

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毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。