老舎、「茶館」
この本は昔どうしても読みたくなってネットで探した事がある。
しかし、新本ではもう売ってなくて既に廃刊になっていた。古本ではあったが、プレミアが
ついて相当な値段になっていた。それほど人気になるほど知られた本でもないやろうと
思ったが手に入らないものはしかたがない。すっかり諦めて、中国語の勉強がてら、原語の
本を見ていた。しかし、見るだけで読むと言うところまではなかなか至らない。
最近は本は買うよりも、基本的には図書館を使うようにしている。それではたと思い当たった。
「茶館」も図書館で探したらええやんか。実に簡単な事だった。
検索するとやっぱりあった。それも中国語との対訳本だ。これなら中国語の勉強にも丁度
ええわと早速借り出した。
やっぱり老舎はええわ。
革命前夜の頃の物騒な混乱期、北京に一軒だけ残った、昔ながらの茶館に集まる人達の
話だ。
茶館といっても茶を飲みにくる人もいれば、一杯の牛肉麺を誰かにたかるしかなくて
よりついてくるものもいる。金を借りに来るものもいれば、何かのあやしい交渉事に
来るものたちもいる。腐敗して崩壊しつつある大国の首都の縮図があるかのようだ。
老舎の筆でそういう人達が生き生きと立ちあがってくる。そして苦しみのたうって、
結局は死んでしまうのだ。
老舎を読むといつも北京に行きたくなる。
もうあんな茶館はないが、胡同の奥のくずれた塀の間から覗きこむと、四合院の
なごりだけが残った家の前で上半身裸のおっちゃんが夕涼みしている。
その横でおばちゃんが立ったまま麺を食っている。
北京の夏はどこまでも暑いのだ。
ヘルタ・ミュラー、「狙われたキツネ」
これは又シュールな本だ。
よくわかるようで難解だ。難解なようで不気味さが良く伝わってくる。
チャウセスクのルーマニア、盗聴と密告と恐怖政治の時代だ。
例えばこんな風だ
・・・・・
ガチョウのご馳走を食べ終わると、みんな黙りこくってベッドに向かい、ぐっすり眠り
込もうとした。というのも誰もがパンにまぎれこんだ死者の髪の毛の話を引きずったま
ま眠りについたからだった。そしてこの夜の眠りは、この晩のできごとをひどく恥じて
いたので、みんなの心の奥深くまでもぐり込んで早く忘れさせてやろうとしたのだ。
・・・・・
そしてチャウセスクくは処刑された。
・・・・
「心臓の代わりにあの人たちは体の中に墓地をかかえてるんだわ」とアディーナが言った。
「あの人たちの頭ん中には、ただ死者ばかりが埋められているんだもの。死者たちは
みんな凍ったラズベリーみたいに小さくて赤い血を流してるんだわ」
・・・・・
それでも世の平和は見せかけだけだ。
毎週火曜は最近夢中で読んだ本の話です。