映画、「しかし、それだけではない」

副題、「加藤周一 幽霊と語る」
今迄、能というものに関心はないではなかったが、実際に見た事はなかった。
謡曲の本を読んだりすることはあるが、能という舞台にどういうたくらみがあるのかと
いうことには全く無知であった。
この映画に夢幻能という言葉がでてきた。
かなり気になって本を読んで見た。
諸国一見の旅の僧がいるとしよう。
朝に出発し、夜にはその日の目的地に着こうと旅を続けているときに、ふと有る場所を
とおりかかる。
「なにやらゆかしげだ」と思っていると、タイミング良く土地の人があらわれる。
そしていつのまにか日がくれてしまった。
もう既にこの場は霊に支配されてしまっているのだ。
この世に思いを残した霊が現れて、このゆかりの地で果たされぬ思いのことどもを或いは
土地の人となって、或いは幽霊の姿となってかたりつづけるのだ。
霊が時空を支配して夢幻の世界を創ってしまうのだ。
それで霊に支配された諸国一見の僧は語り部となって諸国をめぐるのだ。
生きている加藤さんが、幽霊の思いを語る語り部となるのなら、
その加藤さんが死んでしまった今は、この映画をみたものが、こんどは語り部と
ならなければならないだろう。

映画の中で面白い事を言っていた。
「・・・・人の人生の中で、世の中の様々な形のムラ社会の縛りが比較的緩くなる時期がある。
それは、学生時代とリタイアした後だ。・・・
だから、老人と若者が結託したら面白い事ができるかもしれない。・・・・」
この逼塞した時代にこそ、老人パワーと若者パワーが結託しないといけないのだ。
若者よがんばろう。
それにしても、あの年で眼光炯炬、論理明晰、存在感抜群。すばらしい。

eiga100624

毎週木曜は映画、音楽、書画に関する話です。