沢木耕太郎、「波の音が消えるまで」
沢木耕太郎のノンフィクションは沢山読んでいる。これもそういう本やと思っ
てた。読み始めて直ぐに小説やと言う事がわかった。
でも、ノンフィクションみたいな変わった雰囲気の小説でもあるなあって思った。
と言うのは、ストーリーの流れが、この人独特の、次は何処へ行って何をする
ねん?それで何が起こってどうなるねん? と、まるで旅で予期せぬ何かに巡り
会い、その何かが次の旅を導き出す起爆剤になると言ったドライブ感に満ちて
いるからだ。それでいてロードものとも又ちょっと違う。
舞台はマカオ。ある日、男がマカオに到着する。日本人だ。初めてではない。
その男を待ってるはずの女を探している。女は、あの老人はもう死んだと言う。
その老人の遺品を受け取った男は早速カジノに行ってバカラを始める。
バカラの狂気が男を突き動かしているかの様だ。
何故か?
男は前にここに来たことがある。旅の途中だった。いつものように挫折をみつ
める旅になってしまっていた。ハワイでビッグウエーブに乗れなかった彼は、
バリでもビッグウエーブを見つけられなかった。挫けて日本に帰る途中にマカオ
に寄ったのだった。
ほんのトランジットのはずが・・・・。
そこでバカラにのめり込む。いくつかの不思議な出会いがあった。バカラの魔
性が出会いを呼んだのか、出会いが魔性に取憑かれるきっかけだったのか。
そもそもバカラに必勝法はあるのか?
男はそれをつかむことができるのか?
あの老人はそれをつかんでしまったのか?
あの老人は何故死んだのか?
バカラの勝負は波のようなものなのか?
波の音を聞きながら波に乗るのか?
そしてどうなる?
確かに、ギャンブルは種類が違ってもそれぞれにある種の魔性が棲んでると思う。
学生時代に麻雀に凝ってた時期があった。というより学生時代の殆どを麻雀し
ながら暮らしてたかもしれん。しかしその暮らしはギャンブルの魔性に取り憑
かれたと言うよりは唯の青春の粋がりやっただけのような気がするけど、周り
にはそれこそ取り憑かれたような暮らしをしてる人がいた。徹夜の麻雀が続い
て夜になったら帰れない、朝までやるしかない。ここで負けたら払うお金ない
なあって思いながら勝ち負けのひりひり感に浸ってるとやっぱりどっかに魔性
がおったんかもしれん。そういう友人の中には、ギャンブルそのものというよ
りはそれが引き起こしたであろうドロップアウトの暮らしから抜けきれず、そ
んな落ちこぼれぬるま湯暮らしを開き直って楽しんでるかのような中で結局は
破綻してしまうしかなかったような人が何人かいた。
沢木耕太郎の「深夜特急」の中でも、マカオで「大小」の魔力に取り憑かれか
けた主人公の話があった。場所もおなじカジノ、リスボアだ。これが土台でこ
んな小説が出来たんやなあって思った。
しかし、ギャンブルだけやなくて、「深夜特急」のなかにも他の人の旅の本の
中にも、有る街に流れ着いて、居着いて始めてしまった乞食同然の無気力暮ら
しから抜けられなくなってる人たちの話が良く出て来る。
旅の暮らしにも似たような魔性が潜んでるんやないかと思うのだ。
マカオはギャンブルだけななくて世界遺産の味わいのある街のように思う。
一度行ってみたい。
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ありがとうございました。