朝井まかて、「阿蘭陀西鶴」
井原西鶴と言えば今で言えば超ベストセラー作家である。さぞかし大人気、お
金も腐るほどあって、世之介みたいな暮らししてはったんちゃうやろかって思
てたんやけどそうでもないらしい。
昔は著作権なんかないし、本の売り上げに見合った歩合制でもないんで、原稿
を版元に渡したらそれっきりということらしい。その時にどのていど原稿料を
いただけるのかわからんけど、あんまり豊かな暮らしぶりではなかったらしい。
話は、元々は俳諧師だったころから始まる。
この世界では自信とは裏腹になかなか宗匠にはなれない。
地道にも暮らせない難儀な性格で、一晩に何百何千と一気に句を詠む矢数俳諧
を競ったり、奇矯、奇抜な行動で人目を惹こうとする生活だ。
それにしても、ほとばしる言葉の天才であったわけだ。
そのうちとうとう、盲目の娘と赤子を二人残して嫁が死んだ。
その盲目の娘の言葉を通して西鶴の暮らしが語られていく。
盲目の感覚を通して表現される、食べ物の作り方、味わい方の表現がすばらしい。
盲目の感覚を通して300年前の大阪が立ち上がってくる。
そしてとうとう西鶴は物語り作家になっていった。
「好色一代男」などの浮世草子がつぎつぎに生まれて、世間の大人気となる。
しかし、暮らしは相変わらずの貧乏暮らし、勝手気ままなくらしだ。
その生活ぶりがとても面白い。
美貌の天才役者はどうなるのか?
近松門左衛門も登場する。
京極夏彦X柳田國男、「遠野物語拾遺」
天女は舞い、天狗は駆け、狐狸が跋扈し、人の想いも空を翔ける。
なんて表紙に書いてあるからつい読みたくなるではないか。
柳田國男の有名な「遠野物語」に収まらなかった民話を集めて、再構成したも
のであるらしい。
今まで、柳田國男は遠野に住んで、その地のスピリットを呼吸しながら暮らす
中で、その地に根差す気分を身に纏いながら聞き集めた物語を編纂していった
んやとばっかり思っていたんやけど、驚いた事に遠野には一回も行った事がな
かったんやそうな。
それでも、あんな本ができるってすごいもんやと思う。
それで、この本は「遠野物語」の気分を京極夏彦のセンスで引き継いだものに
なっている。
人の心は山野をめぐり、時空を駆ける。
ここと思えばまたあちら。
悪いことをすれば報いがあるし、良いことをすれば果報がある。
ほんのりと面白くあったかい話がつまっている。
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