井上靖、「孔子」
この本は先日感想をブログにのせた白川静+梅原猛、「呪の思想」を読んで
いて読みたくなった。白川静氏によると孔子は祭祀を司る一族の1人であった
はずだと言う。呪の世界に居る人だ。
孔子と言う人については殆ど知識がなかった。勿論論語は読んだ事があるし、
幾つかの言葉は暗誦したこともある。なんとなくそういう偉い人が居たと言
うように思い込んでいただけだ。
しかし、孔子個人がどんな人だったのかどういう生活をしていたのかと言う
資料は殆ど残っていないようなのだ。事後の或いは後世の賛美者、研究者達
が集めた本人のと言われる言葉や弟子達の言葉から紡ぎ出されたものが孔子
の世界としてなんとなくできていってるようなのだ。そうなると、作家がこ
の人の伝記のようなものを書くのは非常に難しいことになると思う。しかし、
さすがは井上靖だと思う。語り部たる架空の弟子の眼と耳と心を通して孔子
とその彷徨い流離う教団、あるいは仁の探求集団の行方を追い、その様子を
物語る形で孔子の姿を浮き彫りにしているのだ。
そしてそれは、なるほどそうやったんかと手を打つほどの現実感があるのだ。
又、論語を別の視点で読んでみたくなった。
「逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎かず」
「帰らんかな、帰らんかな」
重松清、「ファミレス」
料理と食べ物が話がとても上手だ。つい引き込まれてしまう。
そう言えばあんな店あったなあ。予備校の帰り、ちょっと一口なんか食いたい
なって思うころ、うまい具合にじゅうじゅうとカツのようなものやコロッケの
ようなものを揚げたうまそうなものを売ってる店があって、田舎もんやから気
軽に1人で店に入ったり、買って食ったりする勇気がなくて、我慢しながら、い
つかあんなの平気で食ってやるぞと思てた頃がなつかしい。
思わぬ用ができて知らない街に行ったら、飯時になっても飯食うとこが見つか
らへん。やっと見つけたらファミレスやった。ファミレスなんかって普段から
思ってるから抵抗感一杯でも腹減ったら食わんとしゃあない。それが意外とお
いしかったりして何か裏切られたようなへんな気がした時もある。あるいは、
子供が小さい頃家族で外食することになって、食いたいモンがそれぞれ違って
困ったら、解決策はファミレスしかないなとわかった。
インドとタイでスパイスを一杯買ってきて、ミルサーも買って、自分流カレー
を作って喜んでる。
或いは、外国でも日本でも妖しい路地裏の奥で、いっそう妖しい食いモン屋を
見つけてそれが美味かった、勘が当たったわいとほくそえむ。
食いモンにまつわる話は限りがなくて、わしの個人的な事はどうでもええんや
けど、食いモンを主題に美味しい話を面白い小説に仕立て上げる人がいるのは
なんてすごいんやと思うてしまう。
楽しくてつい一気に読んだ。
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ありがとうございました。