映画、「セデック・パレ」を見た

今回は2回目の長時間挑戦だ。約5時間、大丈夫やろか。心配やけど頑張ろう。
映画は台湾映画、「セデック・バレ」というやつだ。
日本統治時代に起きた先住民による対日武装蜂起の物語だ。
台湾中部の山中深くに住む狩猟の民達の村で事件は起こった。
それまで山や谷や森の動物達と渾然一体となってある時は狩をして一日を暮ら
し、ある時は猟場を荒らす他の部族と戦って暮らす人たちだ。戦うと言うこと
は敵の首を刈るということでもある。
首刈りと聞いただけで、平和な暮らし、軟弱な暮らしに狎れたわしらは何と恐
ろしい、何と野蛮な行為やと思ってしまう。そんなん文明を知らん野蛮人の仕
業やんと思ってしまう。わしらは少なくとも平和を愛する文明人やでと思って
しまう。
しかし、日本でも昔から戦争では相手の首を獲るのが主要な目的の一つでもあ
ったのではないだろうか。ただ土地を奪い人を殺すということだけではなくて、
首を獲って、その勇敢な行為を称え、時には首に化粧を施してその勇猛な死を
賞賛し、時には首を晒して恨みをしらしめる。
谷崎潤一郎の「武州公秘話」にも妖しく美しく語られている。
マルコ・ポーロの東方見聞録にも、日本には人食いの習慣があると書いてある。
台湾や東南アジアにも人食いの習慣があると書いてあった。それはこういう事
を言ってたのではないだろうか。
それはいいとか悪いとかいうこととは全く違って、そういう文化の中で暮らし
ているということ、そのことだけなのだ。
台湾が清国から日本に割譲されて、奥地の開発に取り組み始めた。
支配されるもの支配するものの構図の中で、支配されるものたちには厳しい暮
らしが始まる。
モーナ・ルダオは先住民族霧社セデック族のリーダだ。
部族一の勇者と認められた男だ。額とあごに黒々としの印の刺青が刻印されて
いる。
セデック族始め各部族は、始めは占領施策を行う日本の当局や軍とそれを阻止
する戦いをしていたが、武力の差はいかにしようもなく、だんだんと日本の支
配への体制へと移っていく。
納得はできないがしょうがないのだ。
しかし、毎日、毎日、馬鹿にされ、差別され、搾取される日々が続く。
誇り高い彼らは我慢に我慢を重ねるがとうとう爆発する時がきた。

誇り高い戦士、モーナ・ルダオが部族の男達を率いて立ち上がったのだ。
戦いの踊りを踊る。
各部族に激をとばす。
果たして一致団結して蜂起できるのか?
近代装備の日本軍に勝てるか?
血の儀式が始まる。
戦いが険しい山の中、森の中のゲリラ戦になれば圧倒的に彼らは強い。
時にはしたたかに敵を痛めつける。
モーナ・ルダオはものすごくかっこいい。
年老いたアラン・ドロンが刑事役をやるサスペンスものを見たことがあるけど、
そっくりやんかと思ってしまった。
寡黙な顔の皺の一本一本が部族の歴史を物語るかのようだ。
しかし、多勢に無勢。
武器も火力において圧倒的に劣る。
劣勢はいかんともしがたい。
女達の悲劇も始まる。
誇り高い女たちも屈従はしないのだ。
狩猟の戦士たちの運命はどうなるのか?

1部、2部通しで見ても退屈は全くしない。ぐんぐん惹き付けられるものがある。
日本人や日本軍に対してかなり厳しい表現もあるけど、不快には思わない。
事実は事実としてしっかり見ておかないといけない。
心はいつか戦士達を応援したりしてる。
少し思ったこと。
彼らが日本語を学ぶとともに、日本人も彼らの言葉を勉強して話している。
いろんなよかったこと悪かったことはあるにしてもお互いに言葉を学んで
コミュニケーションすることがすべての始まりではないかと思う。

戦いの果てに、何が残ったのか?
虹の橋の向こうに幸せが?

台湾中部の山中に行って見たくなった。
こういう人たちを育んだ精霊の住む山々を見てみたい。

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ありがとうございました。