最近読んだ本、「それをお金で買いますか」

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マイケル・サンデル、「それをお金で買いますか」
この本を読んでよかった。前に、「これから正義の話をしよう」と言う本を読
んだときもそう感じた。善や協調という事にについて、こんな風に分かりやす
く語る人は多くないと思う。
市場原理、競争原理という言葉がどこでも語られるようになっている。仕事の
無駄をなくし、その仕事がやるに値する対価を得られるのかどうかを市場原理
に晒して見極めなければならないといつもいつも叫ばれているような気がする。
特に今は公共サービスの仕事でもそういうとられられかたが盛んなように思う。
確かにそういう面はある。沢山ある。仕事ありきにあぐらをかいて欲しくはな
い。しかし、何かちゃうでと思うこともたくさんある。そんなんばっかりやっ
てたらおかしくなるんちゃうのという危惧がある。そういう気持ちを解きほぐ
してくれた本であった。

・・・・
結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにして共に生きたいかという
問題なのだ。
私たちは、あらゆるものがカネで取引される時代に生きている。民間会社が戦
争を請負い、臓器が売買され、公共施設の命名権がオークションにかけられる。
市場の論理に照らせば、こうした取引に何も問題はない。売り手と買い手が合
意のうえで、双方がメリットを得ているからだ。
だが、やはり何かがおかしい。
貧しい人が搾取されるという「公正さ」の問題?それもある。しかし、もっと
大事な議論が欠けているのではないだろうか?
あるものが「商品」に変わるとき、何か大事がものが失われることがある。こ
れまで議論されてこなかった、その「何か」こそ、実は私たちがよりよい社会
を築くうえで欠かせないものなのではー?
・・・・本文より引用。

行列を売る。子供を生む権利を売る。生命保険さえ取引されている。
あなたが何年か何ヶ月か先に死ぬことを見知らぬ人たちが賭けているかも知れ
ない。そういう市場も存在しうるのだ。
なんと恐ろしい。
どっかの国では、表向きはいろんな法律や規制があってもそれは顔やコネやお
カネ次第でなんとでもなることがあるって聞いたことがあって、それはまだま
だ文明が未成熟なんやなって思ったこともあったけど、先進国と言われる国で
こんなことが優れた経済感覚であったり政治感覚であったりするなら、やって
る事はたいして変わらんのちゃうんとおもってしまう。

株価や為替の変動にしても、多くの人の意思の総和によって最終的にあるべき、
或いは妥当なところにバランスされていっているというよりは、多くの人のい
かに人をいち早く出し抜くかという妄動の総和が走り回っているにすぎないや
んかと思ってしまったりするのだ。

結婚して子供を生もうと思ったら、あなたの出産権はすでに販売されてしまっ
てますって言われたり、機嫌よう子供に名前をつけようと思ったら、あなたは
誰かの命名権を犯してますって訴えられたりする時がくるんやろか。
そういえばアフリカの民話を元にしたような話を読んだとき、あなたの死ぬ権
利はもう売られてしまったから、あなたは死ぬこともできないって言うような
話を読んだ記憶があるけど、お話の世界ではなくなってしまうかもね。

こんな世の中いったいどうなってしまうんやろ。

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ありがとうございました。