文楽は好きだから時々見に行く。しかし高いからあまりしばしば行けない。
今回は映画だから安心だ。
外題は、「冥途の飛脚」近松門左衛門の名作だ。
身をつくし、難波に咲くや此の花の。里は三筋に町の那も佐渡と越後の相の手を。
通う千鳥の淡路町亀谷の世継忠兵衛。・・・・
「曽根崎心中、冥途の飛脚」 岩波文庫より
始まり。始まり。
飛脚屋の忠兵衛が商売の金に手をつけるところからだ。
飛脚屋って唯の郵便配達みたいなイメージを持っていたが、お金や手形為替みたいなの
を運ぶ特別な認可事業のようだ。
すると神足歩行術みたいなので東海道を駆け抜けるなんば歩きの名人たちも配下にいたの
かもしれない。
それはいいとして、こういう商売だから身の回りを大金が動いて行く。そうなると
心の弱い男に悪魔のささやぎが・・
どこかの紙屋のぼんは海の向こうの博打に手を出してえらいことになったが、忠兵衛さんは
梅川という遊女に狂ったのだ。
話はたわいもないが、此の頃の商家の暮らし、廓のやりとり、いろんな人の営みのざわざわが
浄瑠璃語りと三味線の響きのなかから立ちあがってくる。
表情の無い顔、血の通わぬ手足、服をきせられた人形が、ふりむく、手が動く、体が決まる
その瞬間に身もだえする女になり、恥をかかされ追いつめられて、やけくそとばかりに
金の封印切る男になる。
見事なものだ。
人形の動きと浄瑠璃の太夫の謡が一つになったとき初めて血が通い命が見える。
一旦金に手をつけたらどうしようもない。次から次へと転がりおちるしかない。
「そんなん分かってるやん」
と見ててもおもろないかと思えばそうではない。
そこが芸の力、「ふんふんそれでどうなる?」とぐんぐん引きこまれていく。
悪い事した罪人とわかっていてもそこは親の愛、なんとか生きて・・と
そう言う話、太夫が声を振り絞れば、「あほなやつのあたりまえの末路」と分かっていても
つい涙ぐむ。
「こんな芸すごいわ」と思わせるのだ。
結局最後は捕まった。(映画には出ない)
・・腰の手拭ひ引絞り めんない千鳥 百千鳥。鳴くは梅川 川千鳥 水の流れと
身の行衛。恋に沈みし浮名のみ 難波に。残し留まりし。
「曽根崎心中、冥途の飛脚」 岩波文庫より
という話。文楽の劇場で見るのもいいが、劇場とは又違って、大写しで人形の動きや表情が
見れると言う楽しみもある。
是非劇場でご覧あれ。
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ありがとうございました。