ある日玄関のランプが切れた。
結構寿命が短い。「またかいな」と思い電気店に買いに行く。その時、
「こういうご時世やからLEDにしようかいな」と思った。以前はLEDのランプはえらい
値段が高い。「少々寿命が長くても高すぎるわ」と思って敬遠していたが、今頃は
格段に値段が下がっている。いろんな災害の結果だと思うと哀しくはあるが、いつかは
節電ということに向きあわないといけないから丁度よかったとも言える。
こういうこともあって、日本中の人がこぞって節電の動きをして、結果的に目標をみごとに
クリアーしているというのは他の国では絶対真似のできないことだと思う。
改めて日本人ってすごいなあと誇りに思う次第だ。
昔、中国、福建省の客家の人達が住んでいる土楼に行った時、巨大な円筒形の集合住宅で
円筒の周辺の3回りほどが住宅になっていて真ん中が空洞で住宅部が3階建てになっている
不思議なところだった。そこで個別のような共同のような不思議な暮らしをしているのが
おもしろかったが、その木造の建物の2階にあがって内庭を眺め振り返ると、階段の中ほどに
裸電球がぶら下がっていた。むかし田舎の家の納戸のなかで見たような風景だ。
福井の永平寺に行った時、回廊のどこかに裸電球がぶら下がっていた。
冬の寒い朝まだきに外は雪、中では修行僧がはだしで足早にこの薄暗い回廊を歩いている時
この電球にぼっと光が点いていたらいいなと思った。
こんな感じはその場の空気と風景が造るものであって、電球の光が何かを創りだすわけでは
ない。
電球の光で言えば、以前何かで見たが、昔の竹のフィラメントなんかの光は本当に美しい。
人の手が初めて産み出した人造の光の荘厳さがあるかのようだ。
ガス灯の光も見せて貰った事がある。
この世にないモノであるような光のゆらぎがみえたような気がした。
つまるところ今の世の中は明るすぎると思えるのだ。
明るすぎたら美しいモノが美しく見えない。
明と暗があやなす微妙なゆらぎの中に美しいモノが棲んでいると思う。
節電のその先にもっと新しいテクノロジーが産み出されて、心豊かに生きる喜びを
感じさせてくれるようなそういう灯りが何時か部屋のどこかに出現して、静かな一時を
与えてくれたらいいなと思う。
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ありがとうございました。