谷崎潤一郎、
私の見た大阪及び大阪人」、「阪神見聞録」、「岡本にて」他
谷崎潤一郎全集 第二十巻より、
有名な作家が東京の街を描いた本は沢山ある。失われ行く東京の情緒を惜しんでいろんな
形で作品が描かれている。
しかし、大阪や京都の街の事が描かれた本は少ない。
これは東京の人でありながら、関東大震災がきっかけで関西に移り住んでしまった文豪
谷崎潤一郎の文章で、非常に貴重で興味深い内容なのだ。
多くの文人の東京の街の書き方と違って、東京対大阪という視点でとらえているのが
興味深し、今の我々の感覚と比べてどうなのかというおもしろさもある。
まず一番の違いは声だという。
東京の夫人の声は、譬えれば長唄の三味線の音色のようだと言う。
キレイと云えばキレイだけれども、幅がなく、厚みがなく、圓みがなく、そして何より粘りがない。
というのだ。
だから会話も精密で、明瞭で、文法的に正確であるが、余情がなく、含蓄がない。
えらくキツイ。
大阪の方は、浄瑠璃乃至地唄の三味線のようで、どんなに調子が甲高くなっても、その声の裏に
必ず潤いがあり、つやがあり、あたたか味がある。
えらいホメすぎやんか。
それで「座談の相手には東京の女が面白く、寝物語には大阪の女が情がある」ということだ。
それに商人の街の伝統で金銭感覚にたけている。
言葉数少なく婉曲にモノを言う。
派手好き。
どこかに伝統の血の濃厚さを感じさせる。
云々だ。
さて今はどうだろう。
何となく長年の東西混交の結果、目立たなくなった部分が多いものの、やっぱり傾向としては
うなずけることがおおい。
もっと衝撃だったのは、昔の阪急電車の車内の描写だ。
電車の中で、平気で子供に小便をさせているという。
ひどい時には、う○○までさせているという。
満員の乗客の面前でだ。
今では考えられない。おそろしくもおぞましい。
しかし、思い起こせば、私の子供の頃、列車の中で「おしっこしたい。がまんできへん」と
わめくと、困った親は、「連結のとこへ行ってやってこい」というような時代もあったような
記憶がかすかにある。
おどろくに当たらない、一つの過程なのかもしれない。
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