最近読んだ本、「私の見た大阪及び大阪人」、「阪神見聞録」他

  • 2011年7月6日
  • 76人
NO IMAGE

谷崎潤一郎、
私の見た大阪及び大阪人」、「阪神見聞録」、「岡本にて」他
 谷崎潤一郎全集 第二十巻より、
有名な作家が東京の街を描いた本は沢山ある。失われ行く東京の情緒を惜しんでいろんな
形で作品が描かれている。
しかし、大阪や京都の街の事が描かれた本は少ない。
これは東京の人でありながら、関東大震災がきっかけで関西に移り住んでしまった文豪
谷崎潤一郎の文章で、非常に貴重で興味深い内容なのだ。
多くの文人の東京の街の書き方と違って、東京対大阪という視点でとらえているのが
興味深し、今の我々の感覚と比べてどうなのかというおもしろさもある。

まず一番の違いは声だという。
東京の夫人の声は、譬えれば長唄の三味線の音色のようだと言う。
キレイと云えばキレイだけれども、幅がなく、厚みがなく、圓みがなく、そして何より粘りがない。
というのだ。
だから会話も精密で、明瞭で、文法的に正確であるが、余情がなく、含蓄がない。
えらくキツイ。
大阪の方は、浄瑠璃乃至地唄の三味線のようで、どんなに調子が甲高くなっても、その声の裏に
必ず潤いがあり、つやがあり、あたたか味がある。
えらいホメすぎやんか。

それで「座談の相手には東京の女が面白く、寝物語には大阪の女が情がある」ということだ。

それに商人の街の伝統で金銭感覚にたけている。
言葉数少なく婉曲にモノを言う。
派手好き。
どこかに伝統の血の濃厚さを感じさせる。
云々だ。

さて今はどうだろう。
何となく長年の東西混交の結果、目立たなくなった部分が多いものの、やっぱり傾向としては
うなずけることがおおい。

もっと衝撃だったのは、昔の阪急電車の車内の描写だ。

電車の中で、平気で子供に小便をさせているという。
ひどい時には、う○○までさせているという。
満員の乗客の面前でだ。

今では考えられない。おそろしくもおぞましい。
しかし、思い起こせば、私の子供の頃、列車の中で「おしっこしたい。がまんできへん」と
わめくと、困った親は、「連結のとこへ行ってやってこい」というような時代もあったような
記憶がかすかにある。
おどろくに当たらない、一つの過程なのかもしれない。

hon110706

ブログランキングに参加しています。もしよかったらポチンとお願い致します。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

ありがとうございました。