アンコールワット廟の近くにあるプノンバケン山から見る夕陽が綺麗だと聞いていた。
それならば今からそこへ行こう。ちょっと時間は速いけど。
アンコールワットの西の正門まで戻って橋を渡ると運転手が手をあげて迎えてくれた。ちゃんと分る
ようい待っていてくれたのだ。
プノンバケン山まで走る。山と言っても小高い丘のようなものだ。それでも登りはある。
土道であったり石段であったり道は荒れて登りにくい。
「象タクシーみたいなんがあるで。あれに乗ったら楽なんや」
「往復15元らしい」
象には乗って見たい気がするが、たかがこんな丘は歩いて登りたい。象の背中の上からの目線って
どんなんやろとかなり気になりつつも、こんなんに15ドルも払う事はないというせこい考えが勝って
「歩いて登ろや」と言う事にした。
土の坂はよく滑るし、石の坂は石が大きいので意外と疲れる登りだ。
上まで着くと遺跡があった。
ここは須弥山、建物は須弥壇の跡だという。アンコールワットを含めた、この地一帯に広がる、
ヒンドゥーの天地創造を語る壮大な地上の曼陀羅のひとつなのだ。
今は朽ち果てて見る影もない。
しかし眺望が素晴らしい。頂上にある廃墟の跡をぐるぐるまわっていると360度回りが見渡せるのだ。
夕陽までにはまだ時間がある。ゆっくり眺めよう。
アンコールワットの塔が見える。
反対側がアンコールトムだ。
トレンサップ湖も見える。
他はよくわからない。どこを見ても深い森のなかに石の遺跡が沈んでいる。
そんなに遠くない前は、このあたり一帯は当に戦場だったのだ。
同じ国の人達が血で血を洗う殺戮を行っていた。悲惨な歴史の現場なのだ。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」という本を書いたカメラマンの一ノ瀬泰造と言う人が死んだのも、
シェムリアップからアンコールワットに向かう路上だったという。
このアンコール遺跡群にしても、昔のタイ、ベトナム、ラオス、カンボジア一帯のメコン圏を巡る
文化の盛衰が産み出したものだ。繁栄の後、破壊がある。
そして時間と共に土に還ってしまうのだ。
石に腰かけて時間待ちしていたら尻が痛くなってきた。
人が一杯で感傷に浸る場所がない。
「もうじきやで」
暮れ始めたら早い。暗くなってきたなと思ったら、雲間に赤い夕陽が現れた。
「なかなか綺麗やなあ」
期待が頭の中に既に映像をつくっているから、あとは現実を嵌め込むだけだ。
遠くにバルーンがあがっている。
黒い森と夕陽と廃墟に良く似合う。
「明日はあれに乗ろう」
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