「空中楼閣」
空中楼閣って、実際にはありえないもの、ありえないことを想像する、想定するときに使うような言葉である。
多分。そう、知らんけど。
で、わしは、想像力が貧困やから、本当の空中楼閣みたいなとこに行った話をしてみる。
中国の山西省にある雲崗石窟に行った時、そこから回って行ったところにある「懸空寺」
というお寺だ。
目の前に超巨大な岩壁がある。日本の風景とは比較にならんでかいやつだ。
しかもほぼ垂直。
その中腹あたりにお寺みたいなのが見える。
結構規模がある。
あんなとこまで歩いて登っていくんか。ぞっとする。なんだか信用できへん構造物にみえる。途中で壊れたりせえへんやろか。
とにかく上がってみる。下を見たら怖い。どんどん上がる。
人が多い。やっぱり、この国は。人が居るから逆にちょっと安心感があったりする。
どんどん上がる。
やたら開放的だ。開けっ広げ的。
たぶんここって現役の修行寺? 仏教だけではなさそう。よくある道教とかと合体したやつ?
知らんけど。
日本によくあるような、苦行の修行場みたいなストイックな感じは全くない。
スピリチュアルみたいな感じも全くない。
ただただ明るい。見晴らしが良い。
ちょっと怖い。
と言うだけの話。2008年に行ったから16年前だ。
で、オチがない。
すまんのう。
「因果応報」
親の因果が子に報い、生まれもつかぬこの姿・・・・・
なんて、昔の見せ物小屋の口上にあったらしい。
さて、わしはどなたの生まれ変わりなんでしょうなあ。
枕草子にこんな文がある。
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『蓑虫いとあわれなり。鬼の生みたれば、親に似てこれもおそろしき心あらむとて、親のあやしき衣引き着せて、「いま秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ」といひおきて、逃げて往にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになりぬれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり』
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そういえば、最近、ミノムシなんか見いへんなあって思う。
どうやら、親の蛾が少なくなってるらしい。
しかし、枕草子の蓑虫とわしらが知ってるミノムシってほんまに同じもんやろか。
なんちゅうても、鳴かへんもんねえ。
もし、やっぱりわしらの知ってるミノムシがこれやったとしたら、子どもをほったらかして行ってしまう親の習性を、こんなふうに文学的に表現できるなんて、なんと素晴らしい感性なんやろと思ってしまう。
どっかで蓑虫を見つけて、いとあわれなその姿をも一回見てみたいものだ。
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