ポール・オースター、「オラクル・ナイト」
ポール・オースターは大好きな作家の一人だ。
何となく泉鏡花を読んでいるような感覚で読んでしまう。
大都会そのものの中に潜む魔性の物語りなのか、現代人の成功して何不自由ない人であっても
心の闇からは逃れられないのか。
『ある日、或る時、「煙草を買いにいくわ」とふらりと家をでて、そのままいなくなる』
なんていかにもありそうではないか。
ある日ある時、街角を歩いていたら、今迄なかったはずの場所に不思議な文房具店があるのに気がつく。
誘われるように中に入ると、青い表紙の一冊のノートがある。
不思議な質感のノートだ、「書き易すそう」、思わず手にとらずにはいられない。
買ってしまった。そのノートにペンを下ろすと、次々に物語りが湧いてくる。
突然いなくなった男はどこで何をしているのか?
それを追っているのは書いているわたしなのか。
ニューヨークのどこかで廃墟のなかに棲みついて、膨大な電話帳ライブラリーを構築している
のはなぜなのか。
なぜ突然襲われる?
ノートがなくなった。書けなくなった。もう文房具店はない。
闇はどこまでも広がるのだ。
立松和平、「アジア河紀行」
かなり前に立松和平の文学の原点を探るようなテレビ番組があった。
金子光晴に大きな影響を受けたと言う。
金子光晴と言えば大好きな作家なのでつい見てしまった。放浪の作家と言われている人だ。
「どくろ杯」、「にしひがし」、「ねむれ巴里」の三部作は上海から香港、シンガポール、更に
パリへの放浪をつづけるどろどろの旅の話だ。その話と前後して、「マレー蘭印紀行」という
のがある。マレーシアの小さな港町バハトバを中心にマレーをどろどろと彷徨う話だ。
その跡を求めて立松和平もバハトバに行ったと言う話だった。
そうなのだ、金子光晴はそれほど魅力的なのだ。あの頽廃となげやりとどろどろとそれでも
生命力あふれたアジアの活力があの人の文章から溢れているのだ。そういう人なら、アジアの河を
めぐる話も面白いだろうと思ったのだ。
それに、「道元禅師」という話も書いているので仏教にも想いがあるはずだ。
確かに、メコン河を巡る瞑想の旅といえる話ではある。
もうちょっと深いともっとよかったのに。
期待しすぎかな。
毎週火曜は最近読んだ本の話です。
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