岡潔、森田真生編、「数学する人生」
はるか昔に「春宵十話」と言う岡潔のエッセイを読んで痛く感動したことがあって
随分前にも読み返したことがあってやっぱり痛く感動した記憶がある。
図書館でこの本を見つけたとき、まず表紙の写真に惹かれた。まぎれもなく、岡潔が
生まれ育ったと言う紀見峠、大阪と和歌山の県境にある山峡の村の風景だ。山深く木が
鬱蒼として、「山気日夕に佳し」の暮らしが見える。
こういう風土が深い思索と情緒を重んじる心を育てたのかもしれない。
九度山暮らしをしていると、紀見峠からそれほど遠くはない土地柄か、岡潔と直接
接したことはなくても聞き伝えでそのかなりエキセントリックな性格というか暮らしぶり
のことを教えてもらえることもあるのだ。
頭に響くからということで靴を履かず、ずっとゴム長を履いて暮らしていたとか、
首を絞めるからと言うことでネクタイを締めることはなかったとか、
玄関先で考え事を始めたら何時間もじっと同じところにうずくまって考え続けていたとか、
有名な逸話にはことかかない。
そんなんやから、この本にある奥さんのエピソードにあるように、文化勲章を受賞する
ことが決まったとき、授与式に来ていく服を調達するのに苦労したとか、取材記者が
集まってきても、岡潔宅には電話機すらなかったとか、それでいて、決して傲慢偏屈な
おっさんではなくて、あくまでもそんな風に信じて考えてるから素直に行動するので
あって、そういう人柄がしのばれる話がいっぱいでてくる。
パリ留学中、中谷宇吉郎の弟中谷治宇二郎との交流もとても微笑ましいエピソードが一杯だ。
そして、こころや、いのち、情緒なんてことを普段考えることがほとんどないわしに
とってはとてもいい機会だ。無理やりこじつけたような宗教観や国家観みたいな話では
なくてひたすら森々と考えに考える暮らしの中からでてくることばは素直に心に沁みていく。
数学や物理学の世界の人がやることって、なにか新しいものを創り出すというのではなくて、
この宇宙にすでにあるものを見つけ出しそもそものなりたちを考え抜いて人間がわかる形に置き換えて
いくようなことなのであれば、人のこころやいのち、情緒なんてことを考えるのも
全く同じことなんかもしれんと思ったりする。
今更きれいなこころになれるはずもなくても、時には、浅ましい欲得、妄想や雑念から
離れて、こころとか情緒なんかについて考えておかんとええ絵がかけんのやろなあって
思う。
序 いま、岡潔を読むということ 《森田真生》
一 最終講義
懐かしさと喜びの自然学
二 学んだ日々
私の歩んだ道
ラテン文化とともに
中谷治宇二郎君の思い出
三 情緒とはなにか
絵画
こころ
情緒
いのち
宗教について
四 数学と人生
世間と交渉を持たない
勝手気まま食
文化勲章騒動記 《岡ミチ(岡潔夫人)》
週間日記
ピカソと無明
生きるということ
都市計画
ジーン・ウルフ、「書架探偵」
ある図書館の書架にE・A・スミスという推理作家が住んでいた。SFの中の話や
からこれはこれでいいのだ。この時代、本は作家の脳をスキャンしてその記憶や
感情をスキャンしてリクローンにした人を本の代わりに図書館に収蔵しているのだ。
アンドロイドではない普通の人間は必要に応じてその本を借りにくる。ある日、
コレット・コールドブルックという若い娘が彼を借りに来た。どうやら彼の著書に
興味があるというのではなくて、もっと複雑な曰く因縁がありそうだ。それにしても
借り出されて世の中にでていけるのは人間本としてはとてもありがたい気分転換だ。
そして事件が。
最近娘の父が突然死んだらしい。
そして兄も襲われて殺されたらしい。
現場に残ったのは、スミスが書いた「火星の殺人」と言う本。
なぜか? この本に何か謎が隠されているのか?
それでスミスが借り出されたらしい。
兄はなぜ死んだか? 誰に殺されたか? もしかして父も? 謎が謎を呼ぶ。
そして、二人が襲われた。父の死にも恐ろしい秘密があるのかもしれない。
時空を超えて宝石の行方が?
誰が人で、誰がアンドロイド?
果たしてスミスが謎を解けるのか?
なかなか面白い。
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ありがとうございました。