朝井まかて、「ボタニカ」。
とっても私的な話やけど。
わしにはおじさんがいた。誰でもおじさんくらいはいるやろけど、わしにもいた。
その人は、もう亡くなってはるけど、若い頃、植物採集が好きで、理科の先生でもあって、田舎に住んでいるのを幸い、野山を駆け回って草花を一杯採集して、新聞紙に挟んで標本を作ってはった。
それはもう、部屋の中が一杯になるほどの大変なもんだった。
ある日、台湾で仕事をしてるその人の弟を頼って、植物採集の旅にでるとかで騒いではった。
毎日、毎日が、草花に埋もれた、仙人みたいな生活やなあって感心してたことがある。
牧野冨太郎博士のことも、その人の植物図鑑のことももちろん知ってて、大変尊敬してて、多分図鑑は持ってはったんとちゃうやろかと思う。
もし、そのおじさんが生きていてこの本を読んだら、随分感激しはったやろなあって思った。
牧野冨太郎は、高知県佐川村の生まれ。
岸屋という造り酒屋のボンボンだった。岸屋というのは、元はと言えばこの家の祖が和歌山県の貴志という村の出身だったことからつけたとこの本にある。今の紀ノ川市、前の貴志川町だ。
おじさんの住んでいたとこではないか。この事を知ったら多分狂喜してたと思う。
植物採集て、それほど人を虜にするところがあるんかねえ。
わしには、わからんねえ。
頃は明治の始め。まだ学校もない。子供たちは寺子屋や私塾で勉強してた時代だ。
富太郎は学校ができる。学制ができるより先にどんどん学問を身につけていってしまった。その結果何が起きたかというと、学校を出たら得られるはずの資格がもらえない。
当時、そういう立場にある人は、多くは教師として政府から招聘された。しかし、彼は残念ながら田舎にいてそういう立場になるチャンスがなかった。
東京に出た彼は東京大学で居場所を見つける。
しかし、学生ではない。今更学生にはなれない。
教師でもない。ただの職員だ。
それでも、世間からみたら大学者。
自分の矜持と処遇のギャップがとてつもない。
よくありがちな話ではある。
海外の学会からは注目され始めてる。
珍しい植物の特定依頼も殺到してる。
しかし、その生活は、好きな道一筋。自由奔放というか勝手放題。
お金があろうがなかろうが、買いたい本や道具は全て買う。
挙句は出版にまで手を出してしまう。
お金の心配は周りがするのだ。
それが当たり前と思っている。
こんな人、すごいなあとは思う。これだ一つのことに打ち込める。それで成果を挙げて世に認められるって、めったにないことやとおもう。
しかし、友達にはなりたくない。
ましてや、家族になんか絶対なりたくない。
とてもついて行かれへんけったいな人。
どこか、「南方熊楠」に似てるなあ。
ほぼ、同時代の人。
何か接点があったんやろか?
そして、とうとう牧野富太郎の実家は?
彼の結婚は?
東京にも家庭が?
そして破綻?
こんなに波乱万丈でも本人は気付いてない?
多分、ふりをしてる?
本人の頭の中は植物の事ばっかり。
難儀な話。やっぱりな話。
どうにも金がない。とうとう仕事も破綻するか?
助けてくれる人はいないのか?
そして、とうとう報われる日がくるのか?
読むのはとても面白い。