前に江南の旅の話をしたときに、最後の上海でミニ鳥籠を買った話をしかけて
途中でやめてしまったのは、単にブログのネタ数をキープしただけの事だった。
それでやっと本日登場するのだ。
といっても何の事はない。ただの細工物だ。
私は最初これをてっきり虫籠だと思った。
中国では昔から貴人やお金持ちは蟋蟀などを小さな容れ物に入れて飼うのがお洒落
だったのだそうだ。
北京の骨董屋や上海の骨董屋でそういう蟋蟀の入れ物を見た話もしたことがある。
掌に載るようなものが何十万円もしていた。そいう話は「紫禁城の黄昏」にも
出て来るし、中国を舞台にしたロバート・ファン・ヒューリックのディー判事
シリーズの推理小説にも出て来る。水上勉の北京の柿というエッセイにも出て来た。
よくある話なのだ。
しかし、今回は蟋蟀入れではなくて鳥籠だった。
中国人は鳥を買うのが好きだ。それが嵩じて鳥籠にもこるようだ。
映画や本の中でもよくでてくるが、お互いに飼っている鳥を見せ合うと共に
鳥籠も見せ合って自慢しているのだ。鳥よりもむしろ鳥籠に莫大なお金がかかって
いるようでもあるのだ。その細工の精緻さ、材料のすばらしさ、形の良さ、など
など自慢したらきりがない。
そういう事でこういうミニチュアを楽しむという趣味もあるのかもしれない。
そうだとしたら鳥も欲しいところだ。中に精巧な鳥が入っていて、ピヨピヨとか
ホーホケキョと鳴いたら楽しいではないか。
まあ、それはええとして、小さいけどよくできている。本物そっくりだ。
それに白檀の良い匂いがする。
「これいくら?」と聞くと、「500元」と言う。
「ちょっとだけ負けてよ」というとよっぽど考えたふうをして、「450元という」
「300元でどや」というと、えらい剣幕で怒りだした。
これを造るのにどんだけたいへんやったかというようなことをわあわあ言うとる。
「お願いや、友達やんか」というても収まらへん。
しょうがない「380元でどや」というと、にやっとわらって、
「あんたものわかりええな」という顔に急変して、それでok。
おもろいおっちゃんや。
という話でした。
毎週月曜はこだわりのモノの話です。