九度山は柿が美味い。
九度山は柿の里だ。大きくて美味しい柿がいくらでも食べられる。
年賀状に書いたとおりだ。
さすがにその季節も終わってしまったけど、山のように頂いたやつやら、買ったやつやらが
家の中にあったけど、それもほぼ食べ終わりそうやけど、やっぱり今シーズンは柿の
豊作の年やったんではなかろうか。
町の中をウォーキングしてると収穫の時期には軽トラックがやたら走ってて、それが
朝から夕方までどんどん集荷場を目指して走ってる。なかなかの壮観なのだ。
そしてそういう季節になると、近くの店で安く売ってるし、親しくしてるご近所さんからの
いただきものにありつけることもしばしばだ。
そういう季節やから友人知人に進呈したりするのに丁度ええし、自分の口の入る機会も多い。
さあ食おうと見てみると、どうも今年の柿はいつものやつよりかなり大きいんでは
ないかと思われる。形はゴツゴツと無骨で綺麗ではないけど迫力があって美味そうだ。
実際に食ってみるととても美味しい。
熟すまで待ってトロトロになったやつはとても甘いけど、まだ硬いときの方がわしは
好きだ。程よい上品な甘さと、しっかり食べた気がする食感がとても良い。
現役時代、ええ気になって毎晩のように飲んだくれてたころ、飲みすぎてヘロヘロに
なったその次の朝、きつい二日酔いの予感に目覚めたときに、こんな柿があったら、
それを無理やり食ったら、理由はわからんけど、少しずつましになっていった
ような朝もあったような気がする。遠い昔の話やからほんまかどうか知らんけど。
今となっては深酒することもなくなった。しかも手術で深酒できへんようにもなった。
酒とは段々縁が遠くなっていくんやろか?
モノはみな姿形が悪いほど味が良いというのは本当なのだ。こんなに姿が悪いんやから
相当うまいやろと思ったらそのとおりだ。
しかし、その分剥きにくい。自分でやってみるとよくわかる。起伏が大きいんで
おもわず指を傷つけそうになる。まあ、わしがどぐさいだけなんやけど。
何にしても今シーズンはいやというほど柿を食った。
年末になると柿農家の柿畑は仕事仕舞い、朝から晩まで木の手入れをしてはる。
九度山は殆どとは言わなくてもかなりの家が柿農家なんでこういう季節はとても
忙しいらしい。そのせいか、晴れた日は病院が空いているという現象がおきる
みたいだ。
このごろの都会の病院は老人サロンみたいになってるけど、田舎は逆に行ってる
暇がない時があるらしい。これもまた珍しい現象ではないか。
柿畑の手入れが終わる頃はウォーキングしてても枝を払われた裸の木がすっきりと
残ってるだけ。散髪したてのごま塩頭みたい、身も葉っぱも小枝もなくて風が
吹き抜けてる。
寂しい冬だ。
富有柿がなくなっても残る柿がある。
所謂渋柿だ。
こういうやつがいつまでも風に吹かれている。
良いできたもんで渋柿にも使いみちはある。そのままではまずくて食べられへんけど
皮を剥いて焼酎で洗って干しておいたらとても美味しい干し柿になる。
わしの家も毎年ご近所からそれを作ったやつをいただくけど、ねっとりと素朴な
甘みがとても美味しい。
冬の風物詩と言えるのではないやろか。
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ありがとうございました。